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「蘭学」を発展させた大槻玄沢

今日9月28日は、江戸時代後期の蘭学者で、『解体新書』の翻訳で名高い杉田玄白・前野良沢の弟子として『解体新書』の改訂版を著わし、わが国初の太陽暦の元日を祝う「オランダ正月」を催すなど、蘭学をさかんにした大槻玄沢(おおつき げんたく)が、1757年に生れた日です。

仙台藩の支藩である一関藩の藩医の子として生れた大槻玄沢(本名・茂質[しげたか])は、13歳で同じ郷里の医師である建部清庵に師事して、早くから医学や語学に才能を示しました。

1778年に江戸への遊学を許されて、杉田玄白の私塾で学び、医術を修めるかたわら、前野良沢にオランダ語を学びました。(「玄沢」の名は、師である2人から一文字ずつもらってつけた通り名といわれています) 1782年にいったん一関に帰郷した後、1785年には長崎遊学を許されて語学力を磨くと、1786年には仙台藩の藩医に抜てきされて、江戸詰を命じられました。

これを機に、江戸京橋に住んで私塾「芝蘭堂」をひらいた玄沢は、多くの人材育成に当たりました。宇田川玄真、稲村三伯、橋本宗吉、山村才助の4人の弟子は特に名高く、「芝蘭堂の四天王」といわれたほどでした。そして、1788年に蘭学の入門書『蘭学階梯』(2巻)を著すと、蘭学研究総論、文字、発音、文法など、初学者の教科書となって、江戸蘭学界での中心的な地位を確立させていきました。

1790年には、外科医向けの翻訳書『瘍医(ようい)新書』を完成させ、1794年11月11日が西暦の1795年1月1日に当たることから、多くの蘭学者らを芝蘭堂に招き、「オランダ正月」と呼ばれる西洋の暦に合わせた新年会を、日本で初めて開きました。オランダ正月はそののち数十年にわたって毎年開かれました。さらに1798年には、師である杉田玄白から『解体新書』の改訂を命ぜられ、1804年にほぼ完成させ、『重訂 解体新書』(14巻)として1826年に刊行しています。

1811年には江戸幕府の天文方の翻訳員となり、フランスの『ショメール百科事典』の蘭語版を翻訳、『厚生新編』の完成者のひとりとして名を連ねています。生涯に玄沢の手がけた著訳書は300巻を越えるほどで、たくさんの功績を残して1827年に亡くなりました。


「9月28日にあった主なできごと」

1895年 パスツール死去…狂犬病ワクチンを初めて人体に接種するなど、近代細菌学の開祖といわれるフランスの細菌学者・化学者パスツールが亡くなりました。

1970年 ナセル死去…スエズ運河の国有化、アスワン・ハイ・ダムの建設につとめ、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国)の指導者として活躍したエジプトのナセルが亡くなりました。

投稿日:2012年09月28日(金) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)