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ナポレオンを失脚させたウェリントン

今日9月14日は、イギリスの軍人・政治家で、ナポレオンを2度にわたって討ち破ったウェリントンが、1852年に亡くなった日です。

アイルランド地方の貴族の子としてダブリンに生まれたアーサー・ウェルズリー・ウェリントンは、1781年、父の死に伴いブリュッセルに移住して、フランスの陸軍士官学校に学びました。1787年にイギリス軍に入隊、インドでイギリス軍に抵抗するインド軍を破るなど、軍人としてのキャリアを積みました。

1790年、アイルランド議会の議員に選出され、1794年には対仏連合軍傘下の軍人として実戦参加をするようになりました。1797年インド歩兵部隊の司令官としてカルカッタに赴任、ベンガル地方の治安警備を担当となったウェリントンは、その間に、第4次インド・マイソール王国との戦争(1799年)、デカン高原などを支配するマラータ同盟との戦闘(1803年)などで功績をあげ、1804年にナポレオンによるフランス第一帝政が成立すると、翌年ナポレオンとの対決を予測して依頼帰国しました。

1806年にイギリス議会の下院議員に選出され、翌年にはアイルランド担当大臣に就任、コペンハーゲンに遠征してナポレオンと提携するデンマーク軍を破り、その功で陸軍中将となりました。さらに1808年、イベリア半島で戦争が勃発すると、ナポレオンに反抗するスペイン・ポルトガルの民衆を支援するために出兵し、フランスのポルトガル遠征軍を破って帰国しました。

しかし、ナポレオン本隊がイベリア半島に侵入してスペイン全土を制圧すると、イギリス軍の総司令官として再度半島に派遣されたウェリントンは、大激戦の末フランス軍を破り、ポルトガルを拠点にフランス軍への抵抗を続け、1810年にはリスボンに侵入してきたフランス軍を撃退し、ポルトガル攻略を断念させました。

1812年にはスペインにおけるフランス軍の勢力が衰退しているのを見て同国に侵入、マドリードを攻略してスペインを占領下に置くことに成功しました。やがてロシア遠征の失敗などでナポレオンが苦境に陥ったことを知ると、1813年にはピレネー山脈を越えてフランス領内に入り、1814年4月ナポレオンが退位したことで凱旋帰国し、国民の熱狂的な歓迎を受けました。この功で元帥となり、「ウェリントン公爵」という王族でない貴族の登れる最高位を、わずか45歳の若さで叙されています。

ナポレオンがエルバ島に流されたあとに開かれた「ウィーン会議」には、1815年カッスリー外相にかわってイギリス全権代理を務め、ナポレオンがエルバ島を脱出してパリに復帰(100日天下)すると、これを迎え撃つべくブリュッセルに急行、「ワーテルローの戦い」でプロイセン軍と協力してナポレオン軍を打ち破り、セントヘレナ島へ流してその野望を打ち砕いたのでした。

その後も、ウェリントンは政治家として活躍し、1828年には首相に就任、さまざまな差別を受けていたカトリック教徒の人権を擁護した「カトリック解放令」は評価されているものの、全般的には保守主義が目立ち、選挙法の改正に反対して1830年に下野し、上院の指導者として過ごした後に死去しました。

なお、1813年にベートーベンは、管弦楽曲『ウェリントンの勝利』を発表して大喝采を浴びました。スペインの「ビトリアの戦い」においてウェリントン率いるイギリス軍がフランス軍に勝利したことを讃える曲で、イギリスはもちろん、当時ナポレオンの野心に牛耳られていたヨーロッパじゅうに、大きな賞賛の声があがったことを物語っています。


「9月14日にあった主なできごと」

1321年 ダンテ死去…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれるダンテが亡くなりました。

1822年 ロゼッタストーン解読…1799年、ナポレオンがエジプト遠征の際に持ち帰ったロゼッタストーンを、フランスのシャンポリオンが解読に成功。古代エジプト文明の存在を解明するきっかけとなりました。

1849年 パブロフ誕生…消化腺と条件反射の研究で、ノーベル賞を受賞したロシアの科学者パブロフが生まれました。

投稿日:2012年09月14日(金) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)