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公娼廃止運動と山室軍平

今日8月20日は、明治中期から大正・昭和前期にわたり、キリスト教社会主義組織「救世軍」活動にささげた山室軍平(やまむろ ぐんぺい)が、1872年に生れた日です。

岡山県の現・新見市の農家に生まれた山室は、家が貧しいため少年時代に叔父の家に養子へ出されましたが、叔父の反対を押し切って14歳で上京、印刷工となりました。働きながら、教会主催の夜学英語学校に学んでキリスト教に触れると、同志社の新島襄にあこがれ、1889年京都の同志社大学に入学しました。

赤貧の中で勉学に励むこと5年、健康を害したり、当時広まりつつあった自由主義神学への反発もあって卒業間近に大学を中退。ちょうどそのころ、岡山で孤児院を経営する石井十次のすすめで上京、イギリスで始まった新教の一派で、日本に伝わったばかりの貧しい人たちを救う社会運動「救世軍」に参加しました。パンフレット『鬨(とき)の声』を刊行したり、街頭募金をするなど大いに働き、1896年には中尉に任じられ、日本で最初の救世軍士官(伝道者)となりました。

精進ののち、「聖潔(きよめ)」という教理に出会って信仰上の苦悶を解決した山室は、赤いバンドのついた軍帽をかぶり、太鼓やラッパを鳴らし、わかりやすい言葉でキリスト教を伝道しました。1899年には伝道の言葉をまとめた『平民の福音』を著わし、これは従来のインテリ向けの福音書とは異質ともいえるものでした。この年、佐藤機恵子と結婚、夫人とともに二人三脚のめざましい活躍をすることになります。

公娼廃止運動(廃娼運動)、娼妓の自由廃業のすすめ、わが国初の無料職業紹介事業、貧民のための木賃宿の開設、婦人ホーム経営、年の暮れには貧民に餅を配布する運動等など…、後に東洋で最初の中将となり、日本軍国司令官となるなど、1940年に亡くなるまで生涯にわたり、社会福祉運動・事業にそそぎつくしました。

なお山室軍平は、石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれています。


「8月20日にあった主なできごと」

1241年 藤原定家死去…「小倉百人一首」の編さんや、万葉集、古今集と並び日本の3大和歌集の一つ「新古今和歌集」を編さんした鎌倉時代の歌人 藤原定家が亡くなりました。

1839年 高杉晋作誕生…吉田松陰の松下村塾に学び、農民や町民を集めて奇兵隊を組織し倒幕に力をそそいだものの、明治維新を前に若くして病死した長州藩士 高杉晋作が生まれました。

1988年 イラ・イラ戦争停戦…1980年ペルシャ湾岸地域を優位に支配しようとするイラクのフセイン大統領が、革命後の不安定なイランへ攻撃を開始して、イラン・イラク戦争が始まりました。一進一退のくりかえしだったため、国連の即時停戦の要請を受けて、停戦が実現しました。双方の犠牲者は100万人を超えたといわれています。

投稿日:2012年08月20日(月) 05:03

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)