今日7月24日は、中国・明朝の創始者で初代皇帝「洪武(こうぶ)帝」となった朱元璋(しゅ げんしょう)が、1398年に亡くなった日です。
1328年に濠州(現・アンホイ省)の貧農の家に生まれた朱元璋は、元末の政治混乱に伴って飢きんが頻発し、兄弟のほとんどは飢え死にして孤児になりました。朱だけは近くの寺に入って托鉢僧となって各地をさまよいながら、なんとか生きのびることができました。
1351年、白蓮教という農民を中心とした新興宗教が各地で反乱を起こし、紅色の頭巾を目じるしに「紅巾の乱」をおこしました。この大乱の際に濠州で挙兵していた郭子興(かくしこう)の紅巾軍に加わり、朱はたちまち頭角をあらわし、武将として活躍をはじめました。
1355年に郭子興が亡くなると、後継の一人となって軍を拡大させて元の都がおかれていた集慶路(現・南京)を占領しました。長江下流の一大勢力としたことで、朱の名声を聞いて各地から優秀な人材が集まり、各地の自衛軍や有力な地主を味方につけると、しだいに支配する地域を広げていきました。やがて、やっかいな存在となってきた白蓮教を邪教として捨て、モンゴル族の元朝を北方へおいやり、1368年、現在の南京に「明朝」をたて、初代の皇帝に即位し「洪武帝」を名乗りました。
こうして、1387年までに中国をほぼ統一した洪武帝は、漢・唐王朝をお手本にしながら、皇帝独裁のしくみをつくり、24人の皇子を藩王として全国の要衝に配置して、政治が全国すみずみまで行きとどくようにしました。農村部にはピラミッド型の連帯責任制とする「里甲制」をしき、全国一斉に「魚鱗図冊」という土地台帳や「賦役黄冊」という戸籍台帳を作り、税を確実におさめさせ、村民を相互監視させて治安維持がはかれるしくみを作りました。
しかし、洪武帝のあとをつぐべき皇太子が次々と亡くなり、さびしく晩年をすごし69歳で亡くなると、孫の「建文帝」があとをつぎました。なお、一人の皇帝が年号を一つとする原則(一世一元)は、洪武帝が初めてもうけたものです。(3代目の皇帝となって民の全盛期を築いた「永楽帝」については、7月17日ブログを参照)
「7月24日にあった主なできごと」
1802年 デュマ誕生…フランスの作家で、『モンテクリスト伯』『三銃士』などを著したアレクサンドル・デュマが生まれました。
1876年 ウェブスター誕生…「足ながおじさん」を著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが生まれました。
1886年 谷崎潤一郎誕生…『細雪』『春琴抄』『痴人の愛』などの小説や『源氏物語』現代語訳を著した作家の谷崎潤一郎が生まれました。
1927年 芥川龍之介死去…『杜子春』『蜘蛛の糸』 『鼻』『河童』などの短編小説を著した大正時代を代表する作家 芥川龍之介 が、36歳の若さで自殺しました。