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「大化の改新」 と蘇我入鹿

今日6月12日は、大和朝廷の大臣で蘇我氏の長だった蘇我入鹿(そが の いるか)が、645年に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らに討たれて亡くなった日です。

蘇我氏は、大和地方の豪族で、広大な土地を所有していました。入鹿の時代には、、国の政治を自分たちの思うままに動かすほどになっていました。入鹿の父の蝦夷(えみし)も、祖父の馬子(うまこ)も、それぞれ大臣という最高の位について、何代も天皇につかえてきました。そして、馬子や、そのまた父の蘇我稲目(いなめ)らは、日本に仏教をうけ入れることに力をつくし、古代日本の文化の発展に大きな役割を果たしました。

ところが、稲目の時代に、自分の娘と天皇のあいだにふたりの皇子とひとりの皇女が生まれ、やがて、その皇子が用明、崇峻天皇に、皇女が推古天皇になると、天皇の即位に口だしするだけではなく、じゃまな天皇や皇子は殺してしまうようにさえなってしまいました。蘇我氏の血すじをひくものを天皇にしたほうが、自分たちにつごうがよかったためです。

とくに、豪族の力を弱め、天皇を中心として国の政治をととのえようとした聖徳太子が亡くなると、蝦夷と入鹿のわがままはますますひどくなりました。生きているあいだに自分たち親子の大きな墓をつくり、天皇の墓と同じように陵と名づけました。また、入鹿は、天皇からさずけられるはずの大臣の位を、父から勝手にゆずりうけてしまいました。さらに、甘檮(あまかし)の岡には、きらびやかな家を建て、これを宮門とよばせたということです。

さらに643年には、皇極天皇のつぎの天皇に蘇我氏とつながりのある古人大兄皇子(ふるびとのおうえのおうじ)をたてることを考え、じゃまになる聖徳太子の皇子の山背大兄王(やましろのおうえのおう)を、討ちほろぼしてしまいました。

「入鹿は、旻(みん)という僧から高い学問を学んでいるのに、どうして人の道からはずれたようなことばかりするのだ」──まわりの豪族たちは、だれもが蘇我氏をにくむようになりました。しかし、権力をおそれて、入鹿を討とうとするものは、だれもいません。天皇でさえ、厳しくしかろうとはしませんでした。

ところが、それから2年後、入鹿は、あっけなく身をほろぼしてしまいました。のちに天智天皇となった中大兄皇子に、宮中の皇極天皇の前で、命をうばわれてしまったのです。そして、父の蝦夷も宮門に火を放って死にはて、大きな勢力をもった蘇我氏はほろんでしまいました。

入鹿の死によって、中大兄皇子の「大化の改新」が始まり、日本は、天皇中心の統一国家へと歩みだしました。


「6月12日にあった主なできごと」

1942年 アンネの日記…ナチスのユダヤ人迫害により、ドイツのフランクフルトからのがれ、オランダのアムステルダムの隠れ家で暮していたアンネ・フランクは、両親からこの日の誕生日に日記帳をプレゼントされました。密告されて一家は捕えられ、アンネは1945年15歳でユダヤ人収容所で病死しますが、1944年8月までのおよそ2年間綴られた日記は、戦争の恐ろしさと、つらい生活の中でもけなげに成長してゆく内容に、今も世界じゅうの人たちを感動させています。

投稿日:2012年06月12日(火) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)