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「ウィーン会議」 とメッテルニヒ

今日6月11日は、オーストリアの政治家・外交官で、ナポレオン失脚後の「ウィーン会議」を主宰し、オーストリア宰相となったメッテルニヒが、1859年に亡くなった日です。

1773年にコブレンツ(現ドイツのボン北西にある都市)の名家に生まれたクレメンス・メッテルニヒは、16歳の時にフランスのストラスブール大学に入学して外交学などを学んでいるときにフランス革命が勃発、その革命思想に嫌悪して一家でウィーンに逃れ、宮廷に仕えました。

1795年、マリア・テレジアの前宰相カウニッツの孫娘と結婚したメッテルニヒは、侯爵となったことで高級官職への道がひらかれました。1806年にオーストリアのフランス駐仏大使、1809年より外相に就任しました。皇女マリー・ルイーズをナポレオンの皇后とするなど巧妙な外交でフランスとの友好をはかりながら、自国の国力を強める時間をかせぎ、ナポレオンのモスクワ遠征失敗をきっかけに、1813年にはロシアなど対仏連合国側に加わり、ライプチヒの戦いでナポレオン軍を打ち破りました。

そして、1814〜5年の「ウィーン会議」(各国の利害が衝突して数か月経っても進まなかったため「会議は踊る、されど進まず」といわれたことで有名な会議) では、議長となって中心的役割を果たし、フランス革命の波に荒らされたヨーロッパをふたたび保守的な組織するため、反革命的な「正統主義」と「勢力均衡」の原則で、ヨーロッパ国際秩序の再建をはかりました。

ウィーン会議後も、イタリアやスペインの革命運動やドイツでの自由と統一運動を制圧するなど、自由主義・ナショナリズムを抑圧することで、ヨーロッパの平和・安定を追求しました。1821年からはオーストリア宰相に就任、30年近くもその座にありましたが、1830年代になって工業化が本格化し、新興ブルジョワジーの台頭による反体制運動が激化したため、しだいに内政上の影響力が低下していきました。

1848年に「フランス二月革命」がはじまると、オーストリアでは三月革命が勃発、メッテルニヒは失脚してイギリスに亡命しました。1851年に帰国、フランツ・ヨーゼフ1世の君主政治を助けるなど、ヨーロッパの大きな変化を冷静にみきわめる現実主義的な側面もあわせもった人物でした。


「6月11日にあった主なできごと」

1873年 わが国初の銀行…「第一国立銀行」が日本橋兜町に創立し、初代頭取に渋沢栄一が就任、立派な西洋建築は、東京の名所となりました。その後国立銀行は、1879年までに全国各府県に153行が設立されていきました。

1899年 川端康成誕生…『伊豆の踊り子』『雪国』 など、「生」の悲しさや日本の美しさを香り高い文章で書きつづった功績により、日本人初のノーベル文学賞を贈られた作家・川端康成が生まれました。

1916年 ジーン・ウェブスター死去…手紙形式で書かれた名作『あしながおじさん』など著したアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターが亡くなりました。

投稿日:2012年06月11日(月) 05:00

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)