今日6月6日は、スイスの精神科医・心理学者で、深層心理について研究し、分析心理学の理論を創始したユングが、1961年に亡くなった日です。
1875年、ツールガウ州ボーデン湖畔ケスウィルのプロテスタント牧師の家に生まれたカール・グスタフ・ユングは、少年の頃から自己の内面に深い注意を向けるようになるうち、形式的な信仰に疑問を感じるようになりました。そして、牧師のあと継ぎを望む父の期待に反し、バーゼル大学で精神医学を学びました。卒業後、チューリヒ大学の精神科で精神分裂症を独立した病気とみなすブロイラーに師事し、精神分裂症の心理を研究しました。一時フランスに留学して、ジャネの下で研究して帰国すると、言語連想法の実験による研究で注目されるようになりました。
やがて、オーストリアの精神医学者フロイトの「夢判断」による精神分析に共鳴したユングは、1907年にフロイトを訪問し、協調して精神分析学の建設と発展を誓い、1909年にはフロイトとともにアメリカへ講演旅行に行くほどでした。しかしユングは、『早発性痴呆の心理』を著わしたところ、フロイトとの考え方の違いに気づき、1912年に発表した『リビドーの変遷と象徴』でフロイトとの決定的な相違が明らかとなりました。両者は論争の末に訣別、ユングは精神疾患の人々の治療にあたる医院を開業しながら、独自の分析的心理学の研究を推し進めるようになりました。
1919年にユングは、精神病者の幻覚や妄想が、古くから民族に語り継がれてきた民話(神話、伝説、昔話など)と共通するものがあり、祖先の意識や経験がひそんでいる(元型)という考えを提唱しました。そして、人間の無意識は個人的無意識と普遍的無意識の2層が存在し、普遍的無意識は、人類に共通するものであるとしました。さらに、全世界の宗教に目を向け、1920年代になると、ヨーロッパ中心主義に反対するようになり、欧米文化を支えていたキリスト教を絶対化することにも反対するようになりました。東洋にも深い関心を示すようになったユングは、中国の『易経』や日本の禅などの紹介にも努めたことでも知られています。
1948年、ユングは共同研究者や後継者たちと、チューリッヒに「ユング研究所」を設立し、臨床心理学の基礎と伝統を確立しました。日本におけるユング心理学の第一人者とされた河合隼雄(かわい はやお・2007年死去)は、同研究所で学んだ学者として著名です。
なお、一般によく使われる「内向的」「外交的」「コンプレックス」といった心理用語は、ユングが創りだしたものです。
「6月6日にあった主なできごと」
1281年 弘安の役…モンゴル(中国・元)の皇帝フビライ軍は、文永の役から7年後のこの日、再び大軍を率いて北九州の志賀島に上陸しました。苦戦していた日本軍でしたが、折からの暴風雨により元軍は総崩れとなって7月初めに退散しました。日本を救ったこの暴風雨は「神風」といわれますが、鎌倉幕府は手柄のあった者に恩賞を与えることができず、衰退を速めることになりました。
1599年 ベラスケス誕生…スペイン絵画の黄金時代を築いた17世紀を代表する巨匠ベラスケスが生まれました。
1944年 ノルマンディ上陸作戦…第2次世界大戦中、ドイツが占領していた北フランスの海岸ノルマンディに、17万6千人の連合国軍が上陸に成功、これがきっかけになってフランス各地のドイツ軍を打ち破り、8月25日にパリ解放に成功しました。