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『国富論』 のアダム・スミス

今日6月5日は、イギリスの古典派経済学者・哲学者で「経済学の父」といわれるアダム・スミスが、1723年に洗礼を受けた日です。

関税監督官を父に、スコットランド東海岸の町カコーディに生まれたアダム・スミスでしたが、父は生まれる半年前に死亡したため生年月日はわかっていません。未亡人となった母の手で育てられたスミスは、町立学校を出て13歳でグラスゴー大学に入学しました。当時のグラスゴーは、植民地のアメリカとタバコ貿易で活気にあふれていたため、自由な空気を尊ぶ精神がスミスにも芽生えはじめました。特に哲学者ハチソン教授から道徳哲学の教えを受け、自由を大切にしながら、人生で幸福を得るための心の尊さを学びました。同大学を卒業後の1740年、聖職者となるための奨学金をうけてオックスフォード大学に留学、約6年間在学後、その保守性に失望して退学、帰郷しました。

1748年からエジンバラで、修辞学や純文学の公開講義を何回か行ったところ好評で、1751年にグラスゴー大学に招かれて論理学教授となり、翌年道徳哲学教授に就任しました。1757年には、のちに蒸気機関の改良で産業革命をリードすることになるワットが、同大学構内で実験器具製造・修理店を開業する手助けをしています。

1759年にグラスゴー大学での講義録『道徳感情論』を出版すると、ヨーロッパじゅうに名声が広がりました。人間の行動の正しさは、他人が同感できるかどうかにかかるという理論は、「モラル・センス」といわれ、好評を博しました。

1763年に教授をやめたスミスは、ヘンリー・スコット公爵の家庭教師としてフランスへ同行、当時のパリの知識人ケネー、チュルゴー、ダランベールらと親交を結びました。帰国後、公爵から一生涯の年金を得たスミスは、郷里スコットランドで約10年間研究に打ちこみ、『国富論』の執筆にとりかかります。

こうしてアメリカ独立の年の1776年に発表した『国富論』は、スミスに絶大な名誉をもたらしました。同書のなかでスミスは、近代社会は、一人ひとりが自分の利益を追求することで、「見えない手」が働いて、ひとりでに社会秩序がうまれて発展する。そのために、商業や工業などの経済活動に国家は口出しをせず、自由でなくてはならないと説きました。この考え方は、産業革命を進めるイギリス経済の理論的なささえになったばかりか、経済学という学問が発展するきっかけになりました。

その後スミスは、エディンバラの関税委員やグラスゴー大学名誉学長をつとめながら、1790年に亡くなるまで、上記2冊の著書の増補改訂に集中したということです。


「6月5日にあった主なできごと」

1215年 栄西死去…鎌倉時代の初期、禅宗の日本臨済宗をひらいた僧・栄西が亡くなりました。栄西は、茶の習慣を日本に伝え、茶の湯のもとをきずいたことでも知られています。

1864年 池田屋騒動…京都三条木屋町の旅館・池田屋に、京都の治安組織で近藤勇の率いる新撰組が、公武合体派の守護職松平容保(会津藩主)らの暗殺を計画していた尊皇攘夷派の志士を襲撃、およそ2時間にわたり斬り合い、志士数名を殺害しました。

1882年 柔道道場…嘉納治五郎は、東京下谷の永昌寺に柔道の道場(のちの講道館)を開きました。

投稿日:2012年06月05日(火) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)