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「水銀温度計」 とファーレンハイト

今日5月14日は、主にオランダで活動した技術者・物理学者で、水銀温度計を発明し、「華氏温度」にその名を残すファーレンハイトが、1686年に生れた日です。

ポーランドのダンチヒ(現・グダニスク)に生れたガブリエル・ダニエル・ファーレンハイトは、1701年に両親が亡くなったのを機に、商業知識を身につけようとオランダのアムステルダムへ渡り、気象機械など科学装置を製造する仕事に就きました。

より良いものを求めてヨーロッパ各国を回って科学者と会ううち、それまで一般的に使われていたアルコールを使った液柱温度計が不正確で、標準温度計の必要性を感じ取りました。1713年ころからアルコールのかわりに水銀を使って実験を重ねて精度を高め、水と氷のまじりあう温度(氷点)と、健康な男性の体温を固定化させた「水銀温度計」を発明することに成功しました。さらにこれを改良し、水の沸点、沸点より高い温度、氷点より低い温度が測れる温度計として、1717年にアムステルダムで商業的な生産・販売を行いました。

その後、水の氷点を32度、沸点を212度とする「華氏温度目盛」を定め、1724年にイギリス王立協会で発表したことで、まもなくイギリスとオランダで採用され、現在もアメリカ・カナダ・オーストラリアなどで一般的に使用されています。「華氏」というのは、ファーレンハイトの中国語音訳「華倫海特」からきています。

日本で一般的に使用している「摂氏」(セルシウス)は氷点が0度、沸点が100度で、F(華氏)=9/5×C(摂氏)+32 の変換式により「華氏」温度が定められています。

ファーレンハイトは、自身の温度計を使ってさまざまな液体の沸点を計測するうち、その沸点が液体ごとに異なることや、大気圧によって変動することを発見し、1736年に亡くなりました。

なお、「5月14日」は世界的に「温度計の日」とされ、ファーレンハイトの誕生日(グレゴリオ暦では5月24日)であることから制定されたものです。


「5月14日にあった主なできごと」

1221年 承久(じょうきゅう)の乱…後鳥羽上皇はこの日、京都近隣の武士1万7千人を集め、鎌倉幕府執権の北条義時追討の命令を出しました。幕府軍は19万の軍勢でこれをむかえ討ち、上皇を隠岐島へ流しました。鎌倉幕府成立後、京都の公家政権との二頭政治が続いていましたが、この乱以降は幕府が優勢となり、皇位継承にまで影響力を持つようになりました。

1796年 ジェンナーの種痘…イギリスの外科医 ジェンナー は、牛痘にかかった人の膿を少年に接種 (種痘) し、天然痘という伝染病を根絶させるキッカケとしました。そのため、5月14日は「種痘記念日」に制定されています。

1839年 蛮社の獄…この日、江戸幕府目付の鳥居耀蔵は、田原藩士渡辺崋山、高野長英らを逮捕しました。蛮社とは、洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)を「野蛮な結社」と国学者たちがさげすんだことによります。崋山や長英らは、浦賀沖へ来航したアメリカ船モリソン号に砲撃を加えたことを非難、これへの反感からの逮捕でした。

1878年 大久保利通死去…明治維新をおしすすめた西郷隆盛、木戸孝允とともに「維新の三傑」とよばれ、明治新政府の土台をささえた最大の指導者大久保利通が暗殺されました。

1948年 イスラエル建国…イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しようという、ヨーロッパを中心におこった「シオニズム運動」の結果、紀元前のイスラエル王国にちなんだユダヤ人の国家イスラエルを、この日に建国しました。これに怒ったレバノン、シリア、ヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国は戦争を宣言、9か月にわたるパレチスナ戦争(第1次)がはじまりました。この戦争で、パレスチナを追われた100万人ものアラブ人は難民となり、いまだに「アラブ─イスラエル」対立の構図はなくなりません。

投稿日:2012年05月14日(月) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)