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人気の大作曲家チャイコフスキー

今日5月7日は、バレー組曲『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』、交響曲『悲愴』、弦楽四重奏曲『アンダンテカンタービレ』などを作曲したロシアの作曲家チャイコフスキーが、1840年に生まれた日です。

『白鳥の湖』という、有名なバレエがあります。悪魔に魔法で白鳥にかえられてしまった姫と、その姫に愛をちかった王子との、美しい恋の物語です。この『白鳥の湖』を作曲したのがピョートル・イリイチ・チャイコフスキーです。

ロシアのボトキンスクという町で、鉱山の技師の子に生まれました。父も母も音楽を愛する家庭に育ったチャイコフスキーは、幼いころから、名曲を聞き、ピアノを弾くのが大好きでした。でも、小学校を卒業すると、上流家庭のしきたりにしたがって法律学校へ進みました。

19歳で役人になりました。しかし、役人のきまりきった生活がいやになり、わずか3年で役所をやめると、ペテルブルク音楽院へ入って作曲の勉強を始めました。母や、親戚の人たちは反対しましたが、父だけは、自分の道を自分で選ぼうとするわが子を許しました。

チャイコフスキーは、課題で10曲ほど作曲してくるようにいわれると、200曲も作って教師を驚かすほど勉強をしました。そして、音楽院をすばらしい成績で卒業すると、つぎの年に、モスクワ音楽学校の教師にむかえられました。生まれつき内気で孤独な性格だったチャイコフスキーは、ひとりで小さな家に住んで、交響曲、弦楽4重奏などを次つぎに作りました。『白鳥の湖』を作曲したのは36歳のときです。

37歳で、音楽院の教え子と結婚しました。ところが、性格が合わず、わずか2か月で別れてしまいました。心に深い傷をおったチャイコフスキーは、一時は、自殺を考えたほどでした。やがて学校をやめ、音楽に全てを捧げようと、ある金持ちの援助を受けて作曲ひとすじに情熱をそそぐようになり、名曲『イタリア奇想曲』『眠りの森の美女』『くるみ割り人形』などを生みだしていきました。また、作曲だけではなく、世界各地へ演奏旅行に出かけて、自分で指揮棒をふり、身も心も、音楽にひたりました。

最後の曲になったのは、人間の深い悲しみを表現した第6交響曲『悲愴』です。1893年、この曲が初めて演奏されてわずか9日後に、コレラにかかって53歳の生涯を閉じてしまいました。まるで『悲愴』を自分のために作ったような、死にかたでした。

なお、チャイコフスキーの人気のある作品に『ピアノ協奏曲(第1番)』『バイオリン協奏曲』があります。クラシックの好きな人たちは、「3大ピアノ協奏曲」にグリーク・ベートーベン・チャイコフスキー、「4大バイオリン協奏曲」にメンデルスゾーン・ブラームス・ベートーベン・チャイコフスキーをあげる人が多いようで、私もその一人です。


「5月7日にあった主なできごと」

1730年 本居宣長誕生…35年かけて完成させた『古事記伝』など数多くの古代日本を探る研究書を著した、江戸時代中期の国学者・本居宣長が生れました。

1824年 第九の初演… ベートーベン の交響曲第九番(合唱付)が、この日オーストリアのウィーンで初めて演奏されました。約80人のオーケストラと100人の合唱によるもので、すでに耳がきこえなくなっていた54歳のベートーベン自身も指揮台にたって、各楽章のテンポを指示しました。熱狂した観客はアンコールをくりかえし、3度目のアンコールを警官に止められたという逸話が残っています。この曲は日本でも「第九」として親しまれ、第4楽章は「歓喜(よろこび)の歌」という名で知られています。

投稿日:2012年05月07日(月) 05:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)