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写生画の大家・円山応挙

今日5月1日は、江戸時代中期の絵師で、写生を重視した親しみやすい日本画「円山派」を興した円山応挙(まるやま おうきょ)が、1733年に生まれた日です。

あるとき応挙は、山かげに眠っているイノシシをかきました。ところが、絵を人に見せると「背中のいかり毛が立っていない。このイノシシは病気で死にかかっていたのだ」といわれました。そこで応挙は、こんどはほんとうに眠っているイノシシをさがしだして、写生をしなおしました。──これは応挙が、実物そのままの絵をかくために、いかに写生を大切にしたかを伝える話です。

丹波国(京都)の農家に生まれた円山応挙は、少年時代に農業をはなれて寺にあずけられたことがありました。しかし、絵が好きだった応挙は、15歳になったころ京都にでて呉服屋などで働きながら、狩野派の石田幽汀の弟子になって絵を学び始めました。

応挙を、初めに有名にしたのは、オランダ・中国から渡ってきて日本人を驚かせていた眼鏡絵です。それは、箱にレンズと反射鏡をつけて、そこから箱の中をのぞくと、箱の奥の絵が浮き出して見えるというものでした。応挙は生活に困って、この絵をかいているうちに、遠くのものはほんとうに遠くに見えるようにえがく遠近法や、ものをありのままに描くための写生法を身につけ、眼鏡絵の画家として名を高めたのです。

30歳をすぎた応挙は、眼鏡絵でおぼえた技術を取り入れて、山、木、花、鳥などの日本画を多く描くようになりました。そして、40歳までの10年近くは、絵の才能を認められて近江国(滋賀県)園城寺の円満院宮にめしかかえられ、東洋の古い絵を写して学びながら、さらに腕をみがきました。

応挙が、のちの世に残る、ほんとうにすばらしい絵をかくようになったのは、40歳をすぎてからのことです。とくに、屏風(びょうぶ)絵や、襖(ふすま)絵に力をそそぎ『孔雀図屏風』『遊虎遊鶴図襖絵』『雪松図屏風』(下の絵)などで、天下一の画家とたたえられるようになりました。応挙の名をしたって集まった弟子たちは、多いときは100人を越したといわれています。

Okyo_Pine_Trees.jpg

しかし、年をとってからの応挙は目が不自由になり『保津川図屏風』を最後に、江戸時代の中ごろに花を咲かせた62歳の生涯を終えました。画家としては、華やかでしたが、自分の生活では、着るものも、食べるものも、住むところも、まったく気にしませんでした。ただ絵をかくことだけに、情熱をそそぎつくしたといわれています。


「5月1日はこんな日」

メーデー…世界各地の労働者が、国際的に統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう「労働者のお祭りの日」のメーデーです。


「5月1日にあった主なできごと」

1873年 リビングストン死去…文化の灯から閉ざされたアフリカ原住民たちへ深い愛を注いだ、イギリスの宣教師で探検家のリビングストンが亡くなりました。

1904年 ドボルザーク死去…「スラブ舞曲」や「新世界より」などの作曲で名高いチェコ・ボヘミヤ音楽の巨匠ドボルザークが亡くなりました。

投稿日:2012年05月01日(火) 05:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)