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「ナイロン」 のカロザーズ

今日4月27日は、世界で初めて高分子から成る化学繊維(ナイロン)を発明したアメリカの有機化学者カロザーズが、1896年に生まれた日です。

アイオア州のバーリントンという町で生まれたウォレス・ヒューム・カロザーズは、商業学校の先生が父でしたが、子ども4人をかかえた一家の暮らしは、あまり豊かではありませんでした。そこで、長男だったカロザーズは、高等学校を卒業すると、早く社会へでて家を助けるため、商科大学の速修科へ進みました。

しかし、子どものころから好きだった理科を忘れられず、やがて、ターキオ大学へ入りなおして、働きながら化学を学びました。さらにイリノイ大学でも学び、触媒の研究により、28歳で理学博士の資格を得てハーバード大学の講師になりました。

その数年ののち、アメリカ一の化学工業会社デュポン社の研究室で、ゴムや繊維の研究にとりくむようになりました。カロザーズがすぐれた化学者であることを知っていた教授から、資金のある大きな会社で、思う存分に研究してみるようにすすめられたのがきっかけでした。

物を形づくっている原子や分子のつながりを研究すれば、炭化水素のアセチレンから、強い人造ゴムができると考えたカロザーズは、まずゴムの研究にとりかかり、会社に入って1年ののちには、早くも、天然ゴムよりも丈夫な、高い熱にもとけない「ネオプレンゴム」を作るのに成功しました。

つぎには、やはり化学の力で、薬品から生糸よりも細い糸を作る研究にとりくみました。なんども実験に失敗して、研究を中止してしまわなければならないこともありました。しかし、自信をもっていたカロザーズはくじけずに研究をつづけ、1935年、ついに、ナイロンを発明したのです。

「石炭と水と空気から、新しい化学繊維が生まれる」というカロザーズの研究が発表されると、世界の人びとは、化学の不思議さに驚きました。そして、世界に名が知られる発明家になった化学者のカロザーズは、学者として最高のアメリカ学士院会員におされ、外国からも招かれるようになりました。

しかし、それから2年のちの1937年、湖にボートでこぎだしたカロザーズは、そのまま帰らぬ人となってしまいました。文学や音楽も愛し、神経がこまやかだったカロザーズは、純粋な研究と会社のための研究のあいだに入って、苦しんだのかもしれません。

ナイロンは、カロザーズが亡くなった翌年から作られるようになり、繊維の世界に大きな灯をともしました。


「4月27日にあった主なできごと」

BC399年 ソクラテス死去…古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、若者たちをまどわした罪で死刑の判決を受け、逃亡をうながす友人に『どんな「悪法」でも国の法律でさばかれた以上それにそむくことはできない』と語り、いさぎよく毒を飲んで亡くなった日です。

1917年 世界初の駅伝競走…東京遷都50年を記念して、京都から東京までタスキをつないで走る「駅伝」が世界で初めて行われ、この日から3日間、昼夜休まず続けられました。

1989年 松下幸之助死去…パナソニック(旧松下電器産業)を一代で築き上げ「経営の神様」といわれた松下幸之助が亡くなりました。

投稿日:2012年04月27日(金) 05:21

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)