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史上最大の劇作家シェークスピア

今日4月23日は、イギリスのエリザベス朝演劇を代表する劇作家シェークスピアが、1616年に亡くなった日です。『ハムレット』『ロミオとジュリエット』などの悲劇をはじめ、『べニスの商人』『ジュリアス・シーザー』など、さまざまな人間の、ゆれ動く心を描いた傑作を数多く残しました。その作品は、時代をこえて、多くの人に感動を与えています。

ウィリアム・シェークスピアは1564年、イギリスのストラトフォード・オン・エーボンという小さな町に生まれました。父は農産物と雑貨をとりあつかう商人で、一時は成功して高い地位につきました。しかし、商売に失敗して家が急におちぶれてしまったため、シェークスピアは学校にはあまり長く通えませんでした。

18歳で結婚したシェークスピアでしたが、2年余り後には妻や3人の子を残して、ひとりロンドンへ出てしまいます。ロンドンでは劇場の雑役から出発して、やがて俳優となり、劇作も手がけるようになりました。劇作家として第一歩をふみだしたシェークスピアは、人間の姿をたくみに描き、一作ごとに世間の評判を高めていきました。

当時イギリスは「エリザベス朝」とよばれる時代でした。強国だったスペインに勝って、大変景気の良い明るい時代になりました。学問や芸術がいっせいに活動を始める躍動する空気を感じて、シェークスピアも生き生きとした作品を発表します。初めのころに書いた作品の多くは『真夏の夜の夢』『ベニスの商人』などの喜劇でしたが、『ロミオとジュリエット』は青春と愛を歌いあげた悲劇的な作品です。他に、歴史劇には『ヘンリー4世』などイギリスの歴史からとったものと、『ジュリアス・シーザー』などプルタークの英雄伝からとったものがあります。

30歳後半のシェークスピアは、人間の暗い部分をえぐりだすような悲劇を書きました。4大悲劇といわれる『ハムレット』『オセロ』『マクベス』『リア王』などです。これらは、『ロミオとジュリエット』のように人間の純粋さ、美しさを描いた作品とはちがい、いずれも人間の心の弱さやみにくさを掘り下げています。

シェークスピアの作品は、読まれるためではなく舞台で演じられるために書いた「戯曲」です。したがって、複雑な舞台装置などはあまりないため、時間の経過や場面の移り変わりは、セリフで工夫しなければなりません。その洗練された言葉の新鮮さは、いまだに失われていないところに偉大さがあります。

シェークスピアは、劇作家として名声の点でも第一人者となっていましたが、50歳ころに突然書くことをやめて、故郷へ帰ってしまいました。なぜ引退したのかは、いまだに良くわかっていません。いなかの自然に囲まれて、静かにくらしたシェークスピアは、1616年、52歳で亡くなりました。

なお、世界文学史上、シェークスピアほど有名な作家はあまりいないのにもかかわらず、伝記的な史料がほとんどないため、詳しい生涯はナゾにつつまれたままです。作品のほとんどはその死後に親しかった人たちによって出版されたためです。シェークスピアの残した戯曲37編の内容については、ネットで公開している「シェイクスピア劇全作品解説」が参考になります。


「4月23日にあった主なできごと」

1863年 寺田屋騒動…薩摩藩主の父で事実上の指導者島津久光の公武合体論に不満を持った薩摩藩の過激派、有馬新七ら6名は伏見の船宿寺田屋に集まり、幕府の要人の襲撃を謀議中、久光の命を受けた藩士らに殺されました。この事件によって朝廷の久光に対する信望は大いに高まり、久光は公武合体政策を実現させるために江戸へ向かいました。

1949年  1ドル360円…GHQはこの日、日本円とアメリカドルの交換レートを1ドル360円と定めました。このレートは1971年まで22年間にわたって維持されました。ちなみに、明治初期の1ドルは1円と定められていました。

投稿日:2012年04月23日(月) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)