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「国際法の父」 グロティウス

今日4月10日は、『海洋自由論』『戦争と平和の法』などを著わし、国際法の基礎を作ったことで知られるオランダの法学者グロティウスが、1583年に生まれた日です。

スペイン・ポルトガル連合とオランダが交戦していた時代(八十年戦争)、陶器で有名になるオランダ南西部デルフトの名門の家に生れたフーゴー・グローティウスは、幼年期に父からヒューマニズムとアリストテレス的な教育を受けて育ちました。たぐいまれな才能の持ち主で、8歳でラテン語の詩を2編つくり、11歳でライデン大学に入学、14歳で卒業した翌年、官職について使節としてパリへ出てフランス王に「オランダの奇跡」といわれる才を示し、オルレアン大学から法学博士を贈られるほどの神童でした。

1599年、わずか16歳のときハーグで弁護士となりましたが、実務より学問に熱中し、1601年には、ホラント州の史学史研究員、1609年に検事総長になるなど、生涯に法律、政治、宗教、歴史、自然科学などたくさんの分野の著作を、数多く遺しています。

グロティウスが国際法に携わることになったのは、1602年に設立した世界初の株式会社といわれる「オランダ東インド会社」が、ポルトガル船を拿捕した事件がおき、同社の求めに応じて1609年に『海洋自由論』を著わし、公海は国際的な領域であり、すべての国家は、海上で展開される貿易のために自由に使うことができると主張しました。ところが当時のイギリスは、貿易においてオランダと競合関係にあったため、グロティウスの主張に真っ向から反対。この論争は最終的には経済論争にまで発展、自由貿易を主張していたオランダに対し、イギリスは、1651年に航海条例を制定することでイギリスの港湾にイギリス船籍以外の入港を禁じたことで、第一次英蘭戦争が勃発しています。

1618年、グロティウスは、ゴマルス派とアルミニウス派という神学論争に巻き込まれ、後者に好意を寄せながらも両派の和解につとめるもののゴマルス派に捕まり、国家転覆を理由に終身禁固刑となって、小島の城に幽閉されてしまいました。しかし1621年、書籍運搬用の小箱に隠れ、劇的な脱出に成功、パリへ亡命しました。フランス王ルイ13世はグロティウスに年金を与え、その生活をささえました。

こうして、パリに滞在中の10年間に主著となる『戦争と平和の法』を1625年に完成させています。ここでグロティウスは、戦争には法により守るべきルールがあることを明らかにし、当時ドイツを中心に周辺諸国をまきこんだ宗教戦争(30年戦争)のもとにあった人々へ平和をうったえたもので、今も評価の高い著作です。

1631年、いったんロッテルダムへもどるものの、また追放されハンブルクへ逃げましたが、1634年、駐仏スウェーデン大使として働く機会を得ることができました。しかし、グロティウスの最期は突然でした。1645年にフランスからスウェーデンへの旅の途上で船が難破、衰弱のため病没したのでした。


「4月10日にあった主なできごと」

1946年 初の女性議員…この日、日本ではじめて女性が参加した衆議院議員選挙が行なわれました。この選挙の女性投票率は67パーセントをこえ、女性立候補者82名のうち39名が当選をはたしました。

1952年 「君の名は」放送開始…NHKは、連続ラジオ放送劇「君の名は」(菊田一夫作)を、この日からスタートさせました。放送開始から爆発的な人気を呼び、銭湯の女湯がガラ空きになるほどの社会現象をひきおこしました。

1959年 皇太子の結婚…皇太子明仁親王(現在の天皇)がこの日結婚。皇太子妃となる正田美智子さんが、民間から初の妃ということで慶祝熱が高まり、ご成婚パレードには美智子妃を一目みようと沿道に53万もの人がつめかけるなど、日本じゅうが「ミッチーブーム」にわきたちました。

投稿日:2012年04月10日(火) 05:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)