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将軍家の指南役・柳生宗矩

今日3月26日は、江戸時代初期の武将で、将軍家のご流儀としての「柳生新陰流」をきわめた柳生宗矩(やぎゅう むねのり)が、1646年に亡くなった日です。

1571年、大和国(今の奈良県)柳生郷の領主で剣術家である柳生宗厳(むねよし)の5男として生まれた宗矩は、少年のころから父に「新陰流」を教えこまれました。ところが、太閤検地の際に隠田が露見したため父は失領してしまいました。

1594年、徳川家康に招かれて無刀取りを披露した父の推挙により、家康に仕えることとなった宗矩は、1600年の関ヶ原の戦いでは家康の命を受け、伊賀上野領主や大和の豪族と協力し、西軍の後方をかく乱することによって功をたて、先祖以来の旧領2000石を取りもどすことに成功しました。

翌年、後の2代将軍徳川秀忠の兵法師範役となり、1000石加増され合わせて3000石の旗本となりました。いっぽう、家康の命で、大坂豊臣方の動静を探りました。そして、1614〜5年の「大坂の陣」では、将軍秀忠のもとで従軍し軍功をたてると、翌1616年、千姫事件で反乱をおこした坂崎出羽守を鎮圧し、坂崎家の武器一式と伏見の屋敷を与えられました。

3代将軍 家光 の代になった1621年、将軍家剣法指南役として家光に「新陰流」を伝授したほか、江戸城修復の奉行をつとめたり、家光の側近として信任を深めて加増を受け、1629年、但馬守に任官しました。また1632年、3000石を加増された後、同年12月には、老中・諸大名の監察を任とする初代「大目付」となるまで大出世をとげました。その後も功績をあげ、1636年4000石加増で計1万石を受けて大名に列せられただけでなく、大和国柳生藩を立ちあげました。さらに晩年には2500石の加増を受け、所領は1万2500石に達しました。

一介の剣豪から大名にまで立身したのは、柳生宗矩だけだといわれています。また、家光に「なぜ剣の腕が上がらないのか?」と問われ、「これ以上は剣術だけではなく、禅による心の鍛錬が必要」と沢庵和尚を推し、後に家光が沢庵に帰依するきっかけをつくったというエピソードはよく知られています。なお、有名な柳生三厳(みつよし・十兵衛)は、宗矩の長男。


「3月26日にあった主なできごと」

1205年 新古今和歌集完成…後鳥羽上皇の命によって編まれた和歌集『新古今和歌集』がまとめられました。

1827年 ベートーベン死去…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたるかずかずの作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家 ベートーベン が亡くなりました。

投稿日:2012年03月26日(月) 05:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)