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『ごんぎつね』 の新美南吉

今日3月22日は、『ごんぎつね』『手袋を買いに』などを著わした児童文学作家の新美南吉(にいみ なんきち)が、1943年に亡くなった日です。

1913年、愛知県半田市に生まれた新美は、半田中学時代から俳句や詩、小説、童話、童謡、戯曲に興味をもち、創作をするようになりました。卒業後、半田小学校の代用教員をするかたわら、鈴木三重吉の主宰する雑誌『赤い鳥』に投稿しつづけるうち、1932年に『ごんぎつね』が掲載されたほか、『のら犬』など童話4編と、童謡23編が同誌に掲載されました。

三重吉に高く評価された新美は、まもなく上京して東京外語学校(現・東京外語大学)に入学、結核におかされましたが、卒業後、安城高等女子学校の教師をしながら、童話や童謡、児童劇など、旺盛な執筆活動を続けました。教師としてもユニークな活動をし、学芸会のたびにオリジナル劇を創作したり、日記を書かせては毎日感想を記すなど、その行動は特筆に値するものがあります。

1942年から43年にかけて、『おぢいさんのランプ』『花のき村と盗人たち』『牛をつないだ椿の木』の3つの童話集を完成させましたが、結核の悪化のために、29年の短い生涯を閉じてしまいました。しかし、生前から友人として新美を応援してきた童謡詩人の巽聖歌らの努力もあって、太平洋戦争後にしだいに価値が認められ、『ごんぎつね』や『手袋を買いに』などが教科書に採用されたことで、いまも人気作家となっています。

新美は、地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から 宮沢賢治 との比較されることがよくあります。賢治が独特の宗教観・宇宙観で作品を描いたのに対し、南吉はあくまでも一般庶民の視点から、身のまわりの生活の中から題材を見つけだした素朴な作品が多いのが特長です。出身地の半田には、新美南吉記念館のほか、実家や作品ゆかりの場所をめぐるウォーキングコースも作られています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、新美の代表作『ごんぎつね』『おじいさんのランプ』『手袋を買いに』など、106編を読むことができます。


「3月22日にあった主なできごと」

1832年 ゲーテ死去…、「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いた ゲーテ が亡くなりました。

1925年 ラジオ放送…東京放送局が、ラドオの仮放送を開始しました。NHKは、日本の放送のはじまりを記念して、1943年から「放送記念日」と制定しています。

投稿日:2012年03月22日(木) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)