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『資本論』 のマルクス

今日3月14日は、「科学的社会主義」を提唱し、労働運動の理論的指導者として世界に大きな影響力を与えたドイツ出身の経済学者マルクスが、1883年に亡くなった日です。

1818年、プロイセン王国ライン州モーゼル河畔のトリーアに、ユダヤ系弁護士の長男に生まれたカール・マルクスは、1835年にボン大学に入学して法律をまなびましたが、まもなく哲学や歴史に熱中してベルリン大学に移り、ヘーゲル左派の影響を受けました。さらに、1841年にはイエナ大学で『デモクリトスとエピクロスとの自然哲学の差異』という学位論文により、哲学博士となりました。哲学教授となることをこころざしましたが、政府が進歩的学者を大学から追放しているのを知ると、1842年にケルンで創刊されたばかりの『ライン新聞』の主筆になりました。

マルクスが、最大の支援者となる生涯の親友エンゲルスとはじめて出会ったのはこの時期でしたが、対ロシア政府を批判したことで同新聞社は発行禁止処分となり、1843年に失職してしまいました。しかし、マルクスとエンゲルスは、すべての人間が平等に暮らすことのできる社会主義についての考えが一致しているのを知り、労働者たちが人間平等の社会をきずこうとする、共産主義者の集まりに加わっていきました。そして、共産主義の正しい考えをひろめるために、1848年『共産党宣言』を書きあげました。ところが「万国の労働者よ、団結せよ」と訴えた宣言は、資本家たちの怒りを買い、ヨーロッパ大陸のどこの国へ行っても追われるようになってしまいました。

パリに二月革命がおき、ドイツにも三月革命がおこると、ふたりはドイツにもどって革命を支持しました。しかし革命は失敗に終わったためイギリスへ亡命し、資本家と労働者の差別のない社会をつくるための経済学の研究をはじめました。いっぽうエンゲルスは、会社ではたらいて、マルクスに生活費を送りつづけながら、研究に協力しました。マルクスは、それからおよそ10年、雨の日も風の日も大英博物館にかよいつづけて、研究に研究をかさねました。しかし生活は苦しく、食べるのにもことかき、ついに、3人の子どもや妻を次つぎと失ってしまいました。

1860年代に入るとヨーロッパに労働運動が高まりをみせはじめると、マルクスは、研究の成果を『経済学批判』という本にまとめて発表しました。1864年、ロンドンに国際労働協会(第1インターナショナル)ができると、その中心となって宣言や声明文書を記すようになり、1867年には、『資本論』第1巻をまとめて出版しました。しかし、はげしい研究と貧しさのために身体をこわし、1883年2巻目の『資本論』を書きかけたまま、64歳の生涯を終えてしまいました。

残された『資本論』は、エンゲルスがマルクスの遺稿をひきつぎ、10年の歳月をかけて『資本論』全3巻として完成させました。この著書のなかでマルクスは、資本主義を厳しく分析し、資本主義が高度に発展することによって資本主義経済に矛盾が生じ、共産主義社会が到来する必然性を説きました。マルクスの経済学体系は「マルクス経済学」と呼ばれ、社会・共産主義国家を生みだす理論と実践の原点となっていきました。


「3月14日にあった主なできごと」

1497年 毛利元就誕生…戦国時代に全中国地方と四国の一部を支配し、毛利家の最盛期をつくった 毛利元就 が生れました。

1868年 五箇条の御誓文…天皇集権による明治新政府の基本方針となる「五箇条の御誓文」を公布しました。

1879年 アインシュタイン誕生…「一般相対性理論」を完成させてノーベル物理学賞を受賞し、平和活動に尽力した20世紀最大の物理学者といわれる アインシュタイン が生れました。

投稿日:2012年03月14日(水) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)