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江戸時代の名君・上杉治憲

今日3月12日は、江戸時代中期の大名で、領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作ったことで知られる上杉治憲(うえすぎ はるのり)が、1822年に亡くなった日です。治憲は、号である鷹山(ようざん)の名でも知られています。

1751年、日向(現・宮崎県東部)高鍋藩主の次男として江戸藩邸で生まれた治憲は、1760年に米沢藩主上杉重定の養子となって米沢藩江戸邸に移りました。尾張出身の儒学者・細井平洲を師とあおいで学問を深め、17歳で元服すると治憲を名乗り、1767年に第10代米沢藩主となって家督を継ぎました。

上杉家は、18世紀中頃には借財が20万両に累積するいっぽう、石高が15万石でありながら、会津120万石時代の家臣5000人以上を召しかかえていました。そのため、人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていたばかりでなく、農村の疲弊、洪水による被害が藩財政を直撃するなど、養父である前藩主は、藩領を返上することを本気で考え、尾張藩主の戒めで思いとどまったほどでした。

新藩主に就いた治憲は、先代の家老らを追放し、改革派の竹俣当綱(まさつな)や莅戸(のぞきど)善政らを重用し、まず、年間1500両あった江戸での藩主の生活費を209両に削減、衣食も綿衣・一汁一菜に定め、奥女中も50人から9人に減じるなど、自ら大倹約を率先して実行しました。

そして、疲弊した農村の実態を調べあげ、農村支配機構を改革しました。なかでも大きな力を発揮したのは、農民を保護し指導する12人の郷村教導出役を設置したことでした。さらに、国産物を奨励し、漆(うるし)、桑、和紙の原料となる楮(こうぞ)の100万本植林計画を実施するなど、領民に生産意欲をうながすいっぽう、非常食の普及、自ら粥を食して藩士・農民へ質素倹約をすすめ、飢饉に備えて村々に庫を作らせました。当時東北地方を中心に餓死者を多発させた「天明の大飢饉」がおこりましたが、米沢藩では一人の餓死者も出さなかったのは、そんな治憲の努力の賜でした。

さらに、京都などから織物の職人を招き、「米沢織」を創りだして、江戸にまで名産品として知られるようになったことも知られています。また、曾祖父の4代藩主綱憲が創設したものの閉鎖されていた学問所を藩校「興譲館」として再興させ、少年時代からの師である細井平洲を招いて、藩士・農民など、身分を問わず学問を学ばせたことも大きな功績でしょう。

1785年、破綻寸前の藩財政が立ち直ったことで、治憲は家督を前藩主の子・治広に譲って隠退しました。しかし、隠居後も大御所として71歳で亡くなるまで藩主を後見し、藩政を実質指導しました。鷹山を名のったのは、1802年の時からでした。


「3月12日にあった主なできごと」

1876年 日曜休日制…日本の官庁は、明治時代以降、毎月31日を除いて、1と6のつく日を休日としていましたが、欧米にならって日曜を定休、土曜を半休とすることを決めました。

1925年 孫文死去…「三民主義」 を唱え、国民党を組織して中国革命を主導、「国父」 と呼ばれている 孫文 が亡くなりました。

1945年 アンネ・フランク死去…『アンネの日記』を書いたことで知られるアンネ・フランクが、ナチの収容所で亡くなりました。

投稿日:2012年03月12日(月) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)