今日2月15日は、「最大多数の最大幸福」をめざすべきと論じたイギリスの哲学者で法律家のベンサムが、1748年に生まれた日です。
ロンドンの富裕な弁護士の子として生まれたジェレミ・ベンサムは、3歳のころからラテン語を習い、父親の机に座って何巻もの英国史を読むほどの神童でした。わずか12歳でオックスフォード大学のクィーンズカレッジに入って文学学士号を、1766年に文学修士号を取ったのちリンカ−ン法学院で法学を学び、1769年に弁護士資格を得て開業しました。
父親はベンサムを、英国大法官にさせたいと考えていましたが、ベンサムはイギリス法典の複雑さや法曹界のありかたに幻滅し、実践家であるより、法律への批判とその改良方法の提案などを著述する決意をしました。1792年、父の死により経済的に独立したベンサムは、ウェストミンスターで著述家として身を立てると、その後の40年近い生涯をそこで暮らしながら、1832年に亡くなるまで一日に10枚から20枚もの原稿を書き続けたといわれています。
ベンサムは法や社会の改革を数多く提案しましたが、1789年に著わした『道徳と立法の諸原則序論』はもっともベンサムの主張を明確に示しているといわれています。そこには人間の行動は快楽を追い、苦痛を避けることを原則としていることを主張、人生の目的も、国が法律をつくる基準も、社会の「最大多数の最大幸福」をもたらすものであるべきと論じています。このベンサムの考えは、「功利主義」と呼ばれ、当時の国の政策に大きな影響を与えたばかりか、その後のイギリス人の考え方の基本となっています。そして、特権的な上流階級による政治的な独占を拒否し、中産階級の思想的な支えとなり、アメリカやフランスの政治家にも多くの支持者を得ました。
ベンサムの具体的な提案の中には、法学関係ばかりでなく、哲学、倫理学、経済学、政治学、宗教論、さらにはパノプティコンと呼んだ円形の理想的監獄建設計画まであります。最終的には議会の反対で建設はされませんでしたが、その豊富なアイデアは後の世代の思想家に大きな示唆を与えました。
「2月15日にあった主なできごと」
1564年 ガリレオ誕生…イタリアの物理学者・天文学者で、振子の等時性や落下の法則などを発見するなど、近代科学の父といわれる ガリレオ が生まれました。
1618年 河村瑞賢誕生…江戸の大火事の際、木曾の材木を買い占めて巨富を得、事業家として成功した 河村瑞賢 が生まれたといわれる日です。瑞賢は、東回り航路や西回り航路を整え、流通経済を発展させたことなどでも知られいてます。
1877年 西南戦争はじまる…西郷隆盛 は、私塾の生徒や明治新政府への不満をいだく士族ら1万数千人を率いて鹿児島を出発、熊本城を包囲しました。この乱は、「西南戦争」または「西南の役」などとよばれるわが国最後の内乱でした。戦争は9月24日まで続き、城山に籠城していた西郷らの切腹で終わりました。