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機織り王・豊田佐吉

今日2月14日は、機織(はたお)り機の研究と改良に生涯をささげて日本の紡績産業の発展に力をつくし、「トヨタ自動車」をはじめとするトヨタグループ企業の基礎を築いた発明家 豊田佐吉(とよだ さきち) が、1867年に生まれた日です。

遠江国山口村(現・静岡県湖西市)の農家をかねた大工の長男として生まれた佐吉は、小学校を卒業すると、父のあとを継いで大工の仕事を手伝うようになりました。向上心に燃えた佐吉は、貧困に苦しむ村人たちを見るにつけ、学問の必要性を痛感し、東京から新聞を取り寄せては、村の同志をあつめて「夜学会」を開いたりしました。やがて、ある小学校の先生から借りた『西国立志編』という本に載っていたハーグリーブスらの発明家の話を読み、母の粗末な機織り機の改良を志すようになりました。

女性の仕事とされていた時代に、名古屋に出て機物工場の工員になったり、より能率のよい「ばったんはたで」といわれていた機織りの仕掛けを求めて、あちこちを歩きまわったりしました。そんな研究・工夫に熱中する佐吉を、父は喜ぶどころか非難をしつづけ、母の励ましだけが頼りでした。

1889年に、なんとか3台の機織り機をこしらえましたが満足のいくものではありません。ちょうどそのころ、東京・上野で開かれた内国勧業博覧会でヨーロッパのさまざまな機械を見て歩いて大きな刺激を受けた佐吉は、1890年、ついに最初の発明「豊田式木製人力織機」を完成させました。黒山の人だかりの中で、佐吉の織織り機を使って、りっぱに布を織って見せたのは母でした。

その後も佐吉は研究を続け、「かせくり機」「糸繰り機」「くだまき機」、1897年には「豊田式木製動力織機」を発明しました。この機械は大正時代の初めころから使われはじめ、機織りの大きな発展の役割をはたしました。さらに「木鋳混製動力織機」の発明など、その発明は生涯を通じて120件にものぼっています。1907年には、三井財閥の支援を受けて豊田式織機株式会社を設立、1910年には初めて欧米に渡り、機械を使った効率的な農業、工場の設備の巨大さ、機械の精巧さに驚きましたが、織機や紡績工場を見学してみて、自身の発明した織機が、世界の一級品に劣らないという自信を得て、中国やインドにも工場を設立し、日本の機織工業を世界に広めました。

そして1924年、「豊田自動織機」を完成させ、イギリスの機械より性能のよい自動織機を発明。まもなくイギリスのプラット・ブラザーズ社へ国産技術を輸出、ついに佐吉の自動織機を世界に認めさせたのです。1931年、佐吉は急性肺炎のため63年の生涯を閉じましたが、事業は、長男の喜一郎に受けつがれ、自動車をはじめとする日本の産業の著しい発展の礎としました。

なお、佐吉のより詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」33巻目の「豊田佐吉」をぜひご覧ください。


「2月14日はこんな日」

バレンタインデー…269年のこの日、ローマ皇帝が禁止していた兵士の結婚を、バレンタイン司祭が隠れて結婚させたことで死刑となったことから、欧米では「愛の日」とされ、若い男女が好きな相手に愛の手紙やプレゼントを贈る風習がありました。また、うるう年の2月29日のことを英語でleap year(跳躍の年) といい、女性から結婚の申し込みが許される日とされていました。この2つの西洋の習慣にヒントを得て、ある日本の菓子メーカーが、女性から好きな男性にチョコレートを贈りましょうと宣伝をしはじめ、1965年頃から定着しはじめました。そのため、女性が男性にチョコレートを贈るという習慣は、日本独特のものです。


「2月14日にあった主なできごと」

940年 平将門死去…武士による独立国家を関東に築こうと「将門の乱」をおこした平将門が亡くなりました。同時期に瀬戸内海でおこした藤原純友の乱とあわせて、承平・天慶の乱といい、武士が勃興するさきがけとなりました。

1779年 クック死去…キャプテン・クックのよび名で知られ、世界の海を縦横に走り回って、さまざまな業績をのこした18世紀の海洋探検家 クック が亡くなりました。

投稿日:2012年02月14日(火) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)