児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  総合芸術家・小堀遠州

総合芸術家・小堀遠州

今日2月6日は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて、茶人、建築家、作庭家として活躍した小堀遠州(こぼり えんしゅう)が、1647年に亡くなった日です。

1579年、近江国小堀村(現・滋賀県長浜市)の土豪の長男として生まれた小堀遠州(本名・政一)は、1595年に豊臣秀吉に仕え、1598年に秀吉が亡くなると、親子で徳川家康に仕えました。関が原の戦いでの功により、父は毛利氏にかわって備中松山城(現・岡山県高梁[たかはし]市)をもらいうけ、1604年父の死後は遺領1万2460石をひきついで、西国大名のおさえとなりました。1608年には駿府城普請奉行となり、その功によって遠江守となってから「小堀遠州」と呼ばれるようになります。1617年に河内国奉行兼任となり、1622年には近江国奉行、1624年伏見奉行に任ぜられ、晩年は茶の湯三昧で過ごしながら、69歳で生涯を閉じています。

遠州は武士としても立身出世を遂げましたが、じつに多芸の天才で、秀吉に仕えていた頃に千利休の高弟で武家の茶道を確立した古田織部に「茶の湯」を学び、のちに「遠州流」という流派をつくって茶道の第一人者となりました。そのため、千利休、古田織部と並び「三大茶人」のひとりに挙げられています。利休が深い趣をもったせまくてやや暗い茶室を好んだのにたいし、綾部はより力強いものを求めて薄明るい茶室にかえました。遠州は、さらに明るいものにし、武家の礼法としての茶の道を開いたのでした。

遠州はまた、建築や造園にも優れた腕を発揮して、大坂城、江戸城西の丸、名古屋城天守閣などの建築、桂離宮や京都の仙洞御所、大徳寺などの庭園づくりには、その責任者として超人的な活躍したばかりでなく、二条城二の丸、江戸城の庭園、小堀家の菩提寺となっている京都西北の孤蓬庵(こほうあん)など、今も私たちの目に触れることができる建築や庭園をたくさん遺しました。さらに、和歌、文学、書道、陶芸などにも秀れ、まさに総合芸術家として今に名を残しています。


「2月6日にあった主なできごと」

1537年 豊臣秀吉誕生…戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた 豊臣秀吉 が生れたとされる日です。(異説あり)

1895年 ベーブルース誕生…1914〜35年の間に714本塁打、2209打点、2056四球、1330三振の記録を残して野球殿堂入りをはたし、亡くなる数年前に、遺産をすべて恵まれぬ子どものための財団に寄付したアメリカの人気プロ野球選手ベーブルースが生れました。

1972年 日の丸飛行隊 金・銀・銅独占…札幌冬季オリンピックのスキー70m級ジャンプで、笠谷が金、金野が銀、青地が銅メダルを獲得。過去の冬期オリンピックで金さえとったことのなかった大ニュースに、かれらを「日の丸飛行隊」とよんで話題を独占しました。

投稿日:2012年02月06日(月) 05:32

 <  前の記事 「国際連盟」 とウィルソン  |  トップページ  |  次の記事 ラストエンペラー・溥儀  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2643

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)