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「国際連盟」 とウィルソン

今日2月3日は、第28代アメリカ大統領で、「国際連盟」の創立に力をそそいだウィルソンが、1924年に亡くなった日です。

1856年に、バージニア州スタントンに生まれたウッドロー・ウィルソンは、父親が牧師をつとめたジョージア州オーガスタで成長しました。少年時代に南部で目にした南北戦争の悲惨な状態に強いショックを受け、平和を大切にする心が芽生えたといわれています。1879年バージニア大学で1年間法律を学ぶも体調不良のために自宅に戻って法律の勉強を続け、ニュージャージー州のプリンストン大学で法律を学んで卒業したのち弁護士になりました。さらに1883年、ジョン・ホプキンズ大学院に入って「連邦議会制論」の論文で博士号をとり、1888年からプリンストン大学で政治学・経済学を教え、1890年同大学教授、1902年には学長に就任し、大学の民主化に力をそそぎました。

1910年、民主党に推されてニュージャージー州知事となり、進歩的なさまざまな改革で注目され、革新知事としてアメリカ全土にその名が知れわたりました。1912年に民主党の大統領候補となり、「ニューフリーダム(新しい自由)」のスローガンを掲げて当選、1913から1921年まで2期8年間、アメリカ合衆国大統領として第1次世界大戦中の難しい政局を担当しました。大戦初期は中立を守って内政に力をそそぎ、関税の引き下げや、連邦準備銀行制、反トラスト法の制定など、大資本による企業独占に歯どめをかける革新的諸政策を、公約通り推進しました。

世界大戦中の1915年、アメリカ人を乗せたルシタニア号がドイツ潜水艦に撃沈され、その後もドイツの潜水艦攻撃がやまなかったことで、1917年4月、連合国がわに参戦してドイツに宣戦布告しました。そして1918年1月、大戦終結のきっかけとなる「世界平和に関する14か条」の提案を発表しました。ここには、秘密外交の停止、海洋の自由、通商の自由、軍備の縮小、国際連盟設立などが含まれていました。

大戦後の1919年の「パリ平和会議」に出席したウィルソンは、世界の恒久平和を基盤とする「国際連盟」の創設を決めた「ベルサイユ条約」を成立させました。この功績により、ノーベル平和賞を受賞しましたが、自国のアメリカは上院の反対で連盟の参加をこばまれてしまいます。心を痛めたウィルソンは、アメリカ各地をまわって民衆に連盟参加を直接訴えたものの、脳梗塞に倒れてしまいました。

1920年の選挙は反対党の共和党の勝利に終わり、その進歩主義的な政策は後の ルーズベルト に受け継がれます。国内外の政治体制の変革を追求することを使命とするウィルソンの理想主義は「ウィルソン主義」と呼ばれ、その後のアメリカの外交政策の指針となるなど、見事なリーダーシップや功績から、最も偉大な大統領の一人とされています。


「2月3日にあった主なできごと」

1468年 グーテンベルク死去…ドイツの金属加工職人で、活版印刷技術を実用化し、初めて聖書を印刷したことで知られる グーテンベルク が亡くなりました。

1637年 本阿弥光悦死去…豊臣秀吉の時代から江戸初期にかけ、書、陶芸、蒔絵、茶道、作庭、能面彫などさまざまな芸術に秀で、出版までも手がけた 本阿弥光悦 が亡くなりました。

1809年 メンデルスゾーン誕生…世界3大バイオリン協奏曲の一つと賞賛される「バイオリン協奏曲」をはじめ、「真夏の夜の夢」「フィンガルの洞窟」などを作曲した メンデルスゾーン が生まれました。

1901年 福沢諭吉死去…「学問のすすめ」「西洋事情」などを著し、慶応義塾を設立するなど、明治期の民間教育を広めることに力をそそぎ、啓蒙思想家の第一人者と評される 福沢諭吉 が亡くなりました。

投稿日:2012年02月03日(金) 05:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)