今日1月24日は、後期ロマン派を代表する幻想文学の奇才として知られているドイツの作家ホフマンが、1776年に生まれた日です。
東プロイセンのケーニヒスベルクの法律家の家系に生まれたエルンスト・テオドール・アマデウス(モーツァルトが好きでその名を名のる)・ホフマンは、幼いころからピアノや絵や読書に親しむ少年でした。親類のだれもが法律家だったため、17歳で法律を学び裁判官見習いとしてボーゼンに任命されます。ところがその地の長官をうっかり漫画に書いたため、片田舎へ追いやられてしまいました。
1804年にワルシャワに出て官吏の仕事についたホフマンは、仕事のかたわら、詩作や作曲、絵画制作などを行っていました。ところが1806年、ナポレオンの進軍によって職を失ってしまいました。しかたなくホフマンは、楽団を組織すると、その楽長としてベルリン、バンベルク、ドレスデン、ライプツィヒなどをさまよいながら指揮棒をふりました。その間劇場監督について舞台を手がけたり、オペラ『ウィンディーネ』の作曲、音楽教師、音楽評論の寄稿、肖像画家など、借金をかさねながら苦労のかぎりをつくした末に、1814年に『カロー風の幻想物語』を出版、ここにおさめられていた『黄金宝壺』が大ヒットとして、ようやく作家として認められたのでした。
同年、ベルリンの判事に復職したのち、生涯つづく裁判官と作家との二重生活を送りはじめました。1816年には、オペラ『ウィンディーネ』が王室劇場で初演されると大成功をおさめています。こうして、1822年に亡くなるまで旺盛な作家活動を続け、悪魔や魔法、ありそうもない事件やまぼろしがあらわれる『悪魔の霊液』『小夜曲集』『おす猫ムルの人生観』『ブランビラ王女』などたくさんの作品を著わしました。
また子ども向けに書いた『くるみ割り人形とねずみの王様』(マリーという少女がクリスマスプレゼントにもらった「くるみ割り人形」をめぐって、マリーの夢と現実が入りまじり、ふしぎな物語を展開します) は、チャイコフスキーの15曲からなるバレー組曲『くるみ割り人形』(ホフマンの原作をデュマが脚色したものを基にしています) として、今も世界じゅうの子どもたちに親しまれています。
「1月24日にあった主なできごと」
1848年 ゴールドラッシュ…アメリカのカリフォルニア州の大工が偶然に金を発見、歴史に残るゴールドラッシュのきっかけになりました。1849年には一獲千金をねらう8万人もの人々が、西部カリフォルニアをめざしたといわれています。
1911年 幸徳秋水死去…明治時代の社会主義者で、「大逆事件」という天皇の暗殺を企てたという疑いにかけられた幸徳秋水が処刑されました。
1965年 チャーチル死去…第2次世界大戦の際、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮し、『大戦回顧録』の著書によってノーベル文学賞を受賞したチャーチルが亡くなりました。
1972年 横井庄一発見…太平洋戦争の時の日本兵・横井庄一が、グアム島で発見されました。1944年に上陸してきたアメリカ軍に追われ、島の奥地のジャングルに隠れ、自給自足のくらしを28年も送っていたのです。降伏を恥とする旧日本軍の教えを忠実に守って帰国した横井の第一声は「恥ずかしながら生きながらえて帰ってきました」でした。