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強いハガネを発明したベッセマー

今日1月19日は、イギリスの製鉄技術者で、鋼(ハガネ)の精錬法を発明したことで知られるベッセマーが、1813年に生まれた日です。

ヘンリー・ベッセマーは、ロンドンの北にあるチャールトン村に生まれました。父は、フランスの造幣局で鳴らした優秀な鋳造技師で、活字鋳造工場を経営していました。ベッセマーは幼いころから父の工場を手伝いました。どんな機械でも、どんな手仕事にも興味をもつうち、村の水車場の機械じかけなどにも精通してしまいました。そんなベッセマーの才能を快く思った父は、わが子専用の小さな旋盤をあてがいました。ベッセマーは思いつく限りの部品を工夫しながら、機械技術に親しんでいきました。

17歳の頃に、真ちゅうを工夫した金色塗料を発明して大金を入手したのを手始めに、ベッセマーは次々と新しい発明をなしとげます。切手印刷機、簡単に溶ける合金活字鋳造器、印刷プレス器、水圧式ブレーキ、砂糖きび絞り機など、30代のなかばまでには成功した発明事業家として有名になりました。ベッセマーにとって発明は、生活するための手段であると同時に、生きがいでもありました。新しい発明を思いつくと、たとえそれが未知の分野であっても、燃えるような挑戦意欲を抑えることが出来なかったといわれています。

ベッセマーが製鉄に関わるようになったのは41歳のときでした。ロシアとトルコ・イギリス・フランス同盟軍との間で戦われたクリミア戦争が始まり、人々の目は自国の軍備に向かっていて、より性能のよい大砲が求められていました。ベッセマーは、新しい方式の大砲を考案し、イギリス陸軍局に売り込んだところ、ことわられてしまいました。しかし、フランスのナポレオン3世に気に入られ、何回か実験をくりかえしたところ、仕組みはすばらしいものの、鋳鉄だったために火薬の圧力でゆがんでしまうのが欠点でした。当時のハガネは、あまりに高価だったために実用にならなかったのです。

強い鉄鋼の必要性を感じたベッセマーは、ロンドンの仕事場にもどると、鉄鋼の大量生産の方法を研究しはじめました。試行錯誤の末、とけている鉄(銑鉄)に強い圧力をかけた空気をふきこみ、余分な炭素を燃やすことで、銑鉄がハガネになることを発見、従来の方法より圧倒的に低コストで作れる方法を見つけました。

当時のイギリスで名高い技術者レーニーは、ベッセマーに乞われて実験の見学にきたところ、その成功に感嘆しました。レーニーはすぐにイギリス科学振興会に働きかけ、ベッセマーが「ハガネの大量生産」についての演説をしたところ、世界の新聞に報道され、いちやく鉄鋼界の英雄になりました。その後、多少の失敗もありましたが、1860年、ヨークシャー地方のシーフィールドに製鋼所を建設。ハガネの製造を開始し、自分の理論の正しさを証明したのでした。1869年、事業から手をひき、晩年はいくつかの発明を楽しみながら、悠々自適の生涯を1898年に終えました。


「1月19日にあった主なできごと」

1736年 ワット誕生…18世紀末頃からイギリスにおこった産業革命の原動力ともいえる、蒸気機関の改良をおしすすめた ワット が生まれました。

1839年 セザンヌ誕生…ゴッホ、ゴーガンと並ぶ後期印象派の巨匠、20世紀絵画の祖といわれる画家 セザンヌ が生まれました。

1862年 森鴎外誕生…安寿と厨子王の美しい愛情をえがいた『山椒太夫』、安楽死させた罪に問題をなげかけた『高瀬舟』、ドイツで交際した女性をモデルした『舞姫』など数々の名作を著した文豪 森鴎外 が生まれました。

1899年 勝海舟死去…江戸幕府末期の開明的な幕臣として 坂本竜馬 ら幕末の志士を教育したり、咸臨丸で日本人だけの太平洋横断を指揮したほか、幕府側代表として西郷隆盛と会見し江戸無血開城を実現させた 勝海舟 が亡くなりました。

1969年 東大安田講堂の封鎖解除…全共闘の学生によって、半年前から占拠されていた東大安田講堂へ、8500人の機動隊が前日から出動。2日間35時間にわたる激しい攻防の末、封鎖が解除されました。

投稿日:2012年01月19日(木) 06:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)