今日12月20日は、19世紀ドイツの指導的歴史学者のランケが、1795年に生まれた日です。
プロイセン・ザクセン選帝侯国のビーエに、代々ルター派の牧師の家に生まれたレオポルト・ランケは、ライプチヒ大学に入学して神学と古代文献学を研究し、中世史料の扱い方を習得しました。
卒業後、フランクフルトのギムナジウムの教師として高校生に古代文学史を教えながら、1824年、処女作となる『ラテンおよびゲルマン諸民族の歴史』を書きあげました。この本の序文に「事実は、どうであったか」という記述をし、従来おろそかにされてきた史料を厳密に調べる「実証史学」の方法を説きました。そして、正確な史料をもとに、西ヨーロッパにおける共同体の形成や、キリスト教と人文主義の文化価値の統合、キリスト教的神の世界史における影響などがみごとに展開されていたことが評価され、1825年、ベルリン大学史学科助教授になりました。
その後、政府の援助でウィーンやイタリア諸都市を旅しながら史料を深く調べ上げ、ヨーロッパ各国の盛衰を論じた政治史を次々に著わしました。1834年にはベルリン大学の教授として、初めて演習(ゼミナール)を開講して多くの弟子を育てました。(明治初期に東大で歴史学を教えたリースもランケの弟子の一人です) こうしてランケの学問的な研究法と教育方法は、「ドイツ史学」の伝統となったばかりか、イギリス・アメリカの歴史学にも大きな影響を与えて今日に至っています。
50年にわたった同大学を退くと、ランケは青年時代からの夢だった『世界史』の著作に取り組みはじめ、1886年ベルリンで90歳で亡くなるまで続けられました。ドイツ政府はその功績をたたえ、貴族の称号である「フォン」を贈ったため、レオポルト・フォン・ランケといわれています。
「12月20日にあった主なできごと」
1848年 ルイ・ナポレオン仏大統領…皇帝ナポレオンの甥にあたるルイ・ナポレオンが、選挙に全投票の75%を得て、第2共和制大統領に就任。その後ルイは大統領の権限を強化し、4年後に第2帝政をはじめ、ナポレオン3世となりました。
1853年 北里柴三郎誕生…ドイツの コッホ に学び、ジフテリアや破傷風の血清療法の完成やペスト菌の発見など、日本細菌学の開拓者 北里柴三郎 が生まれました。