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日本画壇の巨人・富岡鉄斎

今日12月19日は、幕末・明治・大正期に活躍した「最後の文人画家」といわれる富岡鉄斎(とみおか てっさい)が、1837年に生まれた日です。

京都に生まれた鉄斎は、幼少のころから富岡家の家学である心学を学び、15歳ころから平田派の国学を修め、儒学、漢学詩文などを究めました。18歳ころには女流歌人にあずけられてその教えを受けたのをはじめ、当時の文人のたしなみとして絵を描いたりしました。

20歳前後になって、窪田雪鷹から本格的な絵の手ほどきを受けると、さまざまな流派の絵を独学したのち1862年から画業で生計としながら、私塾を開きました。まもなく勤王派の学者として高名になり、ひそかに倒幕運動を支援しました。維新後の30歳から40代半までは大和国や和泉国の神官(宮司)となるなど、私財を投げ出して荒廃した神社の再興につとめました。その後は、「万巻の書を読み万里の道を往く」という信念で、日本各地を旅しながら歴史や地理を研究し、1874年には北海道を訪れ、アイヌの風俗を題材にした代表作『旧蝦夷風俗図』を描いています。

1881年、兄が亡くなったことで京都にもどり、学問と絵画に専念するようになりました。そのころから鉄斎の画名は高まり、私塾立命館や京都市美術学校の教員、1915年帝室技芸員、1919年には帝国美術院会員に任命されましたが、自身は1924年に90歳で亡くなるまで、職業画家であることを認めませんでした。

鉄斎ほど絵を楽しみながら、生涯読書を怠らず、内面の充実をはかった文人はいなかったといわれています。幅広く伝統的な日本画を研究し、やがて中国の民や清の南画や大和絵、さらに大津絵なども学んで独自の画風を完成していきました。初期には比較的細い速度のある線で山木を多く描き、60歳をすぎるころから鮮烈な色彩、太く力強い線、大胆な構図で、野性的に思うままに描いた作品群は、梅原龍三郎や小林秀雄らが絶賛したばかりか、世界的に高く評価されています。


「12月19日にあった主なできごと」

1614年 大坂冬の陣和約…徳川家康は豊臣氏を滅ぼそうと20万もの大兵で大坂城を取り囲みましたが、短期間で滅ぼすことはできないと和平を持ちかけ受け入れられました。その後、外堀ばかりか内堀までうずめて本丸だけにし、半年後の「夏の陣」で滅ぼします。

1751年 大岡忠相死去…「大岡政談」の越前守として有名な大岡忠相が亡くなりました。ただし、名裁判官ぶりはほとんど作り話で、江戸市民に愛され尊敬されていた忠相の人柄が、人情味あふれる庶民の味方として認識され、講談や演劇、落語などで広く知られるようになりました。

投稿日:2011年12月19日(月) 06:09

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)