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「鉄の魔術師」 エッフェル

今日12月15日は、パリのシンボルとして知られる「エッフェル塔」を企画・設計したフランスの技師で建設業者のエッフェルが、1832年に生まれた日です。

フランス中東部・ブルゴーニュ地方のディジョンに生まれたアレクサンドル・ギュスターブ・エッフェルは、1850年パリに出て、理工科学校と中央工芸学校に学び、技師免状を取得しました。当時フランス全土に鉄道網建設の計画が進んでいたことで、その技術を生かして鉄道関連の仕事に取り組み、1858年に、ボルドーにおよそ500mもある大鉄橋の橋梁工事のすべてを担当したのを手始めに、橋、鉄橋、陸橋など数多くの建設にたずさわり、建設技術者として優れた業績を残しました。

1866年にはバリ近郊にエッフェル社を創業し、万博の展示場、駅舎ホール、鉄道高架橋、天文台の丸天井など、鉄骨構造にかかわる設計事業を、ヨーロッパ各地をもとより中国や東南アジアまで広大な地域に広げました。

そして、エッフェルの名を世界的にしたのが「エッフェル塔」です。1889年のフランス革命百周年記念となる「パリ万博」のモニュメントとして、鉄骨による巨大な塔をセーヌ河畔に建設することになり、1884年にコンペティションがおこなわれました。エッフェル社の採用が決まったため「エッフェル塔」と名づけられ、19世紀の技術の粋を集めた高さ296mの大鉄塔を、工期17か月をかけて1887年に完成させました。塔に使用された1万2千個の部品は、風圧に耐えうるように一つひとつ設計され、250万個の鋲(びょう)を用いて連続の構造物に組み立てられたということです。完成当時は賛否両論がありましたが、今ではパリを代表する観光名所となっています。

エッフェルは、アメリカに贈られた「自由の女神像」の鉄の骨組みをこしらえたり、太平洋と大西洋を結ぶ「パナマ運河」の水門を設計もしました。さらに、エッフェル塔の4階に研究所を設けて気象観測、天体観測、生物学観測、無線逓信研究にいそしみ、気流が飛行機におよぼす影響を研究して、航空機の設計まで取り組んだようです。1920年に引退の後はおだやかな晩年をすごし、1923年に90歳で亡くなりました。


「12月15日にあった主なできごと」

1859年 ザメンホフ誕生…世界でおよそ100万人の人が使用している人工言語、エスペラントの創案者 ザメンホフ が生まれました。

1945年 婦人参政権…この日の帝国議会で、男女同権の新選挙法を可決、翌日公布されました。翌年4月、戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生しました。

1966年 ディズニー死去…アニメキャラクター「ミッキー・マウス」を生みだし、いまや世界的なエンターテイメント企業となったウォルト・ディズニー・カンパニーを創業した ディズニー が亡くなりました。

投稿日:2011年12月15日(木) 06:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)