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日中友好の先達・宮崎滔天

今日12月6日は、中国の孫文らを支援して、「辛亥革命」を支えた革命家の宮崎滔天(みやざき とうてん)が、1922年に亡くなった日です。

1871年、肥後国(現在の熊本県荒尾市)郷士の11人兄弟の末弟として生まれた滔天(本名・虎蔵)は、西郷に味方して西南戦争に敗死した民権論者だった長兄の志をつぎ、熊本で徳富蘇峰が主宰していた私塾「大江義塾」でキリスト教や自由主義思想を学びました。

1886年15歳で上京、東京専門学校(後の早稲田大学)に入るものの、大江義塾との学風の違いからすぐに中退しました。その後自由民権運動を支持しキリスト教の洗礼を受けますが、貧しい人にパンを与える方法を真剣に考えるうちキリスト教とも離れ、当時欧米の列強が半植民地化しようとする中国の革命運動に関心が向くようになりました。1891年に、初めて上海に渡航した折、朝鮮で東学党の変がおこりその処理をめぐって日清戦争が勃発したため、革命実践の意欲は一時とん挫しました。

1897年に「中国革命の父」といわれる 孫文 と知り合った滔天は、それ以後中国大陸における革命運動を支持、池袋で、日本に亡命してきた孫文や蒋介石を援助しました。革命運動がしばらく停滞したことで、自分を見つめ直す意図から桃中軒雲右衛門に弟子入りし、桃中軒牛右衛門の名で浪曲師となったり、自身の半生記『三十三年の夢』や『狂人譚』を著わして、革命の志をあたためました。

1905年、孫文らと東京で秘密結社「中国同盟会」を結成するいっぽう、朝鮮開化党の志士金玉均の亡命も支援し、その金玉均が上海で暗殺されると、遺髪と衣服の一部を持ち込んで日本人有志で葬儀を営むという義理人情にあふれた人物でもありました。1907年頃より『革命評論』を発行し、日本人は、もっと中国や中国人留学生に暖かい目をむけるように訴えました。

1911年に孫文が中心となって「辛亥革命」をおこすと、滔天も孫文の助けになろうとしますが、個人としてなすべきことはほとんどなく、1912年に帰国すると、口述筆記により『支那革命軍談』を出版して、辛亥革命の宣伝につとめました。本人いわく、革命後は「半病人のていたらく」だったそうですが、中国革命の成功を心から祈りつづけた生涯でした。


「12月6日にあった主なできごと」

1700年 徳川光圀死去…徳川家康の孫で、「水戸黄門」の名でしたしまれた第2代水戸藩主の徳川光圀が亡くなりました。

1839年 水野忠邦の老中就任…浜松藩主だった 水野忠邦 が老中筆頭となりました。11代将軍家斉が亡くなると、忠邦は幕政改革「天保の改革」を行ないました。側近たちを退け、商業を独占する「株仲間」の解散、ぜいたくの禁止など、あまりに厳しい改革に民心は離れ、成功とはほど遠いものに終わりました。

投稿日:2011年12月06日(火) 15:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)