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『蝶々夫人』 のプッチーニ

今日11月29日は、人気オペラ『トスカ』『蝶々夫人』『ラ・ボエーム』などを作曲したイタリアの歌劇作曲家プッチーニが、1924年に亡くなった日です。

1858年、ピサ近郊のルッカに代々音楽家の家系に生まれたジャコモ・プッチーニは、町の音楽学校を卒業後に教会のオルガニストになります。しかし、19歳のときにべルディのオペラ『アイーダ』を見たことで心打たれ、オペラ作曲家を志すようになりました。1880年から3年間、ミラノ音楽院でポンキェルリに師事し、卒業後に作曲家として生計を立てるようになりました。

1893年、第3作目のオペラ『マノン・レスコー』がトリノで初演されると、その美しいメロディで大成功となったばかりか、プッチーニの名を世界的なものにしました。この作品は、イルリカとジャコーザという優れた台本作家の協力によるもので、その後も二人の協力をえて、プッチーニの代表作となる『ラ・ボエーム』、『トスカ』、『蝶々夫人』などを次々とヒットさせました。これらの作品は、今も世界じゅうで上演され続けています。このうち『ラ・ボエーム』は、4人の貧しい芸術家の友情を描いたロマンティックなオペラです。悲劇『トスカ』は、主役3人が舞台上で死んでしまうというストーリーで、扇情的な音楽が話題となりました。

『蝶々夫人』は、明治初期の長崎を舞台にした作品で、没落藩士の令嬢「蝶々さん」とアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛悲劇を描いたものです。1904年にミラノのスカラ座で初演されましたが、予想に反して失敗に終わりました。当時の観客にとっては、異国長崎を舞台にした奇妙な衣装や聞きなれないメロディ(「宮さん宮さん」「さくらさくら」「お江戸日本橋」「君が代」「越後獅子」「かっぽれ」他)に面くらったのでしょう。プッチーニは、かなりの手直しを加えて再演したところ、改訂版『蝶々夫人』は、最も成功した作品のひとつになりました。アリア「ある晴れた日に」は特に有名です。

プッチーニは、珍しがりやの性格から自動車を手に入れて乗り回していたところ、交通事故を起こして骨折したり、しばらく不幸がつづきましたが、1910年にニューヨークで初演した『西部の娘』、中国を舞台にした『トウランドット』など、今も世界の人々に親しまれているたくさんの作品を遺しています。イタリアの多くの人は「一番素晴らしいオペラ作曲家はベルディ、一番親しめるのはプッチーニ」という評価をするようです。


「11月29日にあった主なできごと」

1529年 王陽明死去…儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家 王陽明 が亡くなりました。

1875年 同志社創立…新島襄 らが京都に、キリスト教精神に基づく「良心」を建学精神に掲げ、漢学以外はすべて英語で教育するという「同志社英学校」(現・同志社大学)を創設しました。

1987年 大韓航空機爆破事件…イランのバクダッドから韓国のソウルに向かう航空機が、ミャンマー沖で爆破され、乗員・乗客115人が死亡・行方不明になりました。北朝鮮の工作員金賢姫(キムヒョンヒ)らが実行犯と判明しましたが、北朝鮮は関与を否定しているため、真相は不明のままです。

投稿日:2011年11月29日(火) 07:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)