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評論文学の先駆者・北村透谷

今日11月16日は、明治中期に近代的な文芸評論をおこない、島崎藤村らに大きな影響を与えた評論家で詩人の北村透谷(きたむら とうこく)が、1868年に生まれた日です。

神奈川県小田原市近くに生まれた透谷は、12歳まで祖父母に育てられたのち、上京していた両親のもとで小学校へ転入しました。当時、最高潮に高まっていた自由民権運動に刺激されて、1883年に東京専門学校(現・早稲田大学)政治科に入学し、政治家をめざします。

三多摩地方の民権運動に参加するものの、運動は急速に閉塞していき、ある同志から活動資金を得るため強盗をするという計画を打ち明けられて絶望、運動から離れていきました。やがて、文学によって理想を実現しようと、英文科に移りました。そして、民権運動家石坂正孝の娘で後に結婚することになる美那との出会いによってキリスト教への感化と恋愛により、人間の内部生命を尊重する考えを深めていきました。

まもなく、わが国最初といわれる革命的ロマン主義の自由詩『楚囚の詩』や神の世界と魔の世界をさぐる『蓬莱曲』という2つの長詩、「恋愛は人世の秘やく(鍵)なり」と歌いあげた評論『厭世詩家と女性』を発表し、近代的な恋愛至上主義を表明しました。

1893年には、島崎藤村らと『文学界』を創刊し、誌上にたくさんの評論を発表して、初期ロマン主義運動の先頭になって活躍しました。しかし、日清戦争に反対する雑誌『平和』を編集するなかで、国粋主義に流れる時勢や、現実と理想の板ばさみに悩んで、次第に精神に変調をきたし、評論『エマーソン』を最後に1894年、25歳の若さで自殺してしまいました。

透谷から強烈な感化を受けた 島崎藤村 は、のちに『桜の実の熟する時』や『春』に、透谷の姿を描いています。

なお、オンライン図書館「青空文庫」では、透谷の詩や評論49編 が公開されています。


「11月16日にあった主なできごと」

1523年 インカ帝国皇帝捕えられる…15世紀から16世紀にかけてペルー南部に栄えたインカ帝国は、クスコを中心に石造建築や織物、金銀細工など優れた文明を築きましたが、この日スペインの ピサロ は、帝国のアタワルバ皇帝をだまして捕えました。翌年インカ帝国は滅亡、スペインは南アメリカ大陸のほとんどを長い年月支配することになりました。

1653年 玉川上水完成…江戸幕府は急増する江戸市民の水を補うために、治水技術にすぐれていると評判の玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)に建設を命じ、玉川上水を完成させました。

1946年 「現代かなづかい」と「当用漢字表」…内閣は、これまでの「歴史的かなづかい」を現代の発音に近い「現代かなづかい」とする方針を発表しました(1986年に改正)。また「当用漢字表」1850字を告示し、日常生活に使う漢字を定めました。「当用漢字」は、1981年に範囲をよりゆるやかにした「常用漢字」1945字に改められ、2010年に「改定常用漢字表」2136字を答申し、現在に至っています。

投稿日:2011年11月16日(水) 07:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)