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幕末の風雲児・坂本龍馬

今日11月15日は、薩長同盟を成立させ、徳川慶喜による大政奉還を実行させ、明治維新への道を切り拓いた土佐藩出身の志士・坂本龍馬(さかもと りょうま)が、1867年、33歳の誕生日に暗殺された日です。

1835年、土佐藩(高知県)の町人郷士の家に生まれた龍馬は、19歳で、剣術修行のために江戸へのぼり、北辰一刀流千葉定吉の道場に入門しました。修行をはじめて間もなく、ペリー率いる米艦隊が浦賀沖へ来航したことで、品川の土佐藩下屋敷護衛の任務に就き、黒船の脅威をまのあたりにしました。

1年間の厳しい修行で剣の腕をみがいて帰国した龍馬は、尊王攘夷を主張する土佐勤王党に入り、武市瑞山(半平太)と交遊をもちながら藩の改革をめざしました。しかし、厳しい身分制度にはねかえされてうまくいかず、脱藩して再度江戸にでて、幕府の軍艦奉行の 勝海舟 を訪ねます。勝から世界情勢を説ききかされた龍馬は、目がさまされる思いで即座に弟子入りし、神戸に出来た海軍操練所で航海術を学び、塾頭をまかされるまでになりました。

しかし、わずか1年で操練所は幕府にとりつぶされたため、龍馬は勝の紹介で薩摩藩にたよることになりました。1865年、薩摩藩の援助で長崎に「亀山社中」(のちの海援隊)という団体を作り、汽船をつかって商売をする海運業にのり出します。

ちょうどそのころ、長州藩は幕府から2度目の長州征伐をうけようとしており、龍馬は長州側にたって働きました。世の中の流れは薩摩藩と長州藩が手を結ぶべきだと考えていたためでしたが、両藩の仲は悪く、そっぽを向き合っていました。そこで龍馬は、同志の中岡慎太郎と力をあわせ、いがみあっていた薩摩と長州を説得し、1866年1月、「薩長同盟」を結ばせることに成功しました。いっぽう、土佐藩の後藤象二郎を説得して、土佐藩主の山内豊信(とよしげ・容堂)を使わせて、幕府から朝廷へ政権を平和的に返還させる「大政奉還」運動をおしすすめ、1867年10月、徳川慶喜に実行させました。

さらに龍馬は、「船中八策」といわれる新政府の構想まで練り上げている先見の明には驚きです。新しい国家は、議会を開設し、憲法を持ち、天下の人材を用い、外国と対等に広く交際することなどが記されていました。

死後の龍馬は、しばらくは注目されませんでしたが、1883年に、高知の新聞が『汗血千里の駒』として龍馬の生涯を連載すると評判となって名前が知られるようになります。しかし、その存在が決定的になったのは、1962年に司馬遼太郎が代表作となる小説『竜馬がゆく』の主人公として描いてからで、以来、飛躍的に知名度があがり、幕末の志士として国民的人気を得るようになりました。

なお、龍馬の詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開しているオンラインブック「せかい伝記図書館」31巻目「坂本龍馬」をぜひご覧ください。


「11月15日にあった主なできごと」

1630年 ケプラー誕生…惑星運動に関する3つの法則を発見し、近代天文学におおくの業績をのこしたドイツの天文学者で ケプラー が生れました。

1835年 カーネギー誕生…鋼鉄で利益をあげた大実業家で、公共図書館や大学、カーネギーホールの建設など公益事業に力をそそいだ社会事業家 カーネギー が生まれました。

投稿日:2011年11月15日(火) 06:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)