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「弁証法」を体系づけたヘーゲル

今日11月14日は、ドイツ観念論哲学の完成者とされるヘーゲルが、1831年に亡くなった日です。

1770年、ドイツ南西部にあるシュツットガルトの公務員の家に生まれゲオルク・ウィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、進歩的な教育者だった母の影響もあって、子どもの頃から語学、文学、哲学などを教わりました。わずか8歳のときに「シェイクスピア全集」の感想文を記すほどの読書家でもありました。

ルター派のチュービンゲン神学大学で学び、哲学者シェリングや詩人ヘルダーリンと交友を結び、ギリシャ語、ラテン語、博物学などを学びました。天文学、物理学にも親しみながら大学を卒業後、家庭教師をしながら生計を立てていましたが、父親の遺産を相続することで1801年にイエナ大学の講師になったのを皮切りに、生涯を通して学者の道に専念しました。ハイデルベルク大学教授を経て、1816年にベルリン大学教授となり総長までつとめますが、その講義は魅力的で、いつも聴講者であふれていたといわれています。

ヘーゲルの哲学や「論理学」は「弁証法」とよばれ、ある問題提起に対し、意見をだしあいながら対話をすすめ、双方が合意するやり方が基本になります。ものごとはすべて弁証法的なしくみで展開していくという考えを唱え、『精神現象論』『論理学』『法哲学綱要』などたくさんの著作を通し、ぼう大で壮大な哲学体系をこしらえあげました。とくに、1821年に刊行された『法哲学』は、現実の社会と国家を真正面からとりあげて、近代人は社会的な存在であることを分析し解明しています。

ヘーゲルの哲学体系は、当時のドイツ思想に大きな影響力をあたえたばかりでなく、死後もヘーゲルの考えに対し、保守的な「ヘーゲル右派」、「中間派」、革新的な「ヘーゲル左派」(マルクスやキルケゴールら)に分かれて深化させ、のちの哲学や思想の発展に大きな影響を与えました。


「11月14日にあった主なできごと」

1630年 貝原益軒誕生…独学で儒学、国文学、医学、博物学を学び、わが国はじめての博物誌 「大和本草」 などを著わした 貝原益軒 が生まれました。

1889年 ネルー誕生…イギリスの植民地だったインドを独立に導き、インド発展に全力を注いだ ネルー が生まれました。インドでは、ネルーの誕生を祝う日であるとともに「子どもの日」 になっています。

1930年 浜口首相狙撃される…東京駅で狙撃されて重傷を負った浜口雄幸首相は、「男子の本懐」と語って話題になりました。軍部の反対を押しきって行った金輸出解禁などが右翼の反感を買ったのが原因でした。

投稿日:2011年11月14日(月) 06:46

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)