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「セメント王」 浅野総一郎

今日11月9日は、一代で「浅野財閥」を築きあげた実業家の浅野総一郎(あさの そういちろう)が、1930年に亡くなった日です。

1848年、越中国氷見郡(現・富山県氷見市)に、医師の子として生まれた浅野総一郎でしたが、1867年、北陸一帯の物産を手広く扱う産物会社をおこしました。しかし、成功しかけるものの拡大路線が裏目に出て失敗、1871年、300両もの借財の返済にこまって夜逃げ同然に上京しました。

お茶の水の名水に砂糖を入れただけの「水売り」から出発した浅野は、竹の皮商から薪炭・石炭商へ転じました。1872年、近所にある貸し布団屋の女中の佐久がとてもよく働くのに目をつけた浅野は、佐久に求婚、以来、佐久との共働きで成功していくきっかけをつくります。

やがて、コークスやコールタールの廃物に着目して、廃物をセメント製造の燃料として用いる方法を開発。ただ同様のコークスをセメント工場に納めて大きな利益を得るようになりました。この仕事ぶりが 渋沢栄一 に認められて、1884年には官営の深川セメント工場の払い下げを受け、「浅野セメント会社」(後の「日本セメント」 小野田セメントと合併により現「太平洋セメント」) の基礎とします。以来、浅野は渋沢の助言をもとに、水力発電所や鉄道建設など急増する需要を受けて、積極的な経営戦略を展開、肥料・ビール・東洋汽船会社などの実業活動を展開しました。

いっぽう、1896年には欧米視察にでかけ、英国、ドイツ、米国などの港湾開発の発展ぶりを目の当たりにして横浜港にもどると、その旧態依然とした港の様子に衝撃を受け、港湾を近代化しなくては諸外国に太刀打ちできないことを知りました。まもなく浅野は、工場を一体化した日本初の臨海工業地帯を東京市から横浜市にかけての海岸部に、独力で建設することを計画しました。

浅野の、この大規模計画の価値を認めた同郷の「安田銀行」(後の「富士銀行」・現「みずほ銀行」)を開業していた安田善次郎の支援を受け、今の川崎市の工業地帯を形成する150万坪の埋め立て工事に着手し、大正から昭和の初めにかけて約15年間に及ぶ年月をかけて完成させました。そのため浅野は「日本の臨海工業地帯開発の父」とも呼ばれています。さらに浅野は、「浅野造船所」(後の「日本鋼管」現「JFEエンジニアリング」)を設立するなど、第一次世界大戦の特需もあって、一代で浅野財閥を築いたのでした。


「11月9日にあった主なできごと」

1872年 太陽暦の採用…明治政府は、西欧の国ぐにならって太陽暦を採用しました。具体的には、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで、太陽暦(新暦)に切りかわりました。これまでの日本の暦は、月の満ち干の周期をもとにした太陰暦(旧暦)が使われていました。

1876年 野口英世誕生…黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒などの細菌の研究に、大きな成果をあげた 野口英世 が誕生しました。

1970年 ド・ゴール死去…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家 ド・ゴール が亡くなりました。

投稿日:2011年11月09日(水) 06:43

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)