今日11月7日は、『異邦人』『ペスト』などの小説、『シジフォスの神話』『反抗的人間』などのエッセイ、『誤解』『カリギュラ』などの劇を遺し、44歳の若さでノーベル文学賞を受賞したフランスの作家カミュが、1913年に生まれた日です。
フランス領アルジェリアのモンドビに、フランスから渡ってきた農場労働者の子として生まれたアルベール・カミュは、幼くして父が戦死したため、アルジェにある母の実家の貧民街に身を寄せ、貧しくはあっても、地中海の自然に恵まれた幼少期を過ごしました。苦学して中学を出て、奨学金でアルジェリア大学に入り、結核に苦しみつつ働きながら哲学を学び、ねばりながら卒業しました。
1938年には新聞記者となって、冤罪事件や植民地経営の不正を暴く記事を書いたりするいっぽう、劇団を作り演劇運動を始めています。さらに同年、記者としてパリに出て、はじまったばかりの第2次世界大戦の取材中、フランスはドイツに侵入されたため、ドイツへの「レジスタス運動」に参加しながら1942年、代表作となる小説『異邦人』やエッセー『シジフォスの神話』を発表しました。
『異邦人』は、友人と女性とのトラブルがもとで殺人を犯した主人公が、殺害の直接の原因は「照りつける太陽」だと主張し続け、死刑判決を受けるまでを、ち密な心理描写でえがいた作品。『シジフォスの神話』は、ギリシア神話に登場する悪人シジフォスが、神々によって、永遠にふもとから山頂まで岩を運び続けなくてはいけないという、これ以上ないという厳しい罰を受けながらも、幸せを見つけようとする人間の姿をえがいたものです。これらの作品は、戦争のために正義を守れなくなった人々が、「人生は無意味なのではないかという」気持ちを代弁しつつ、全力で生きることを主張した姿勢に人々は感銘し、サルトルは、その「不条理」性を絶賛しました。
カミュは、「レジスタス運動」を続けながらも、ドイツ占領下のパリで演劇活動をつづけ、自作の『誤解』などを上演し、戦後は『カリギュラ』を上演して、ドイツ人の暴力と不正を暴きました。さらに、占領軍への抵抗を背景にして、ペストの流行と戦う人々の姿を描いた大作『ペスト』を発表するや大ベストセラーとなって、フランス国内ばかりか、諸外国にまで熱狂的な反響をよびおこし、その名声は世界的なものになりました。
しかし、1952年のエッセイ『反抗的人間』が、サルトルとの有名な論争に発展します。サルトルはマルクス主義と革命を支持したのに対し、カミュはプロレタリア革命を含め、あらゆる政治的暴力を否定して「反抗こそが社会を変革する」と説きました。以後、持病の結核と闘いながらも『転落』などを発表、1957年には44歳でノーベル文学賞を受賞しました。ところが1960年1月、パリ近郊で不慮の自動車事故のため、47歳で亡くなってしまいました。
「11月7日にあった主なできごと」
1336年 室町幕府はじまる…足利尊氏は、吉野に「南朝」を立てた後醍醐天皇に対し即位させた「光明天皇」(北朝)から征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。
1867年 キュリー夫人誕生…ラジュームを発見して夫ピエールといっしょにノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえた女性科学者 キュリー夫人 が生れました。