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「側用人政治」の 柳沢吉保

今日11月2日は、江戸時代の元禄期に、5代将軍綱吉の寵愛をえて、大老格として幕政を主導した柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)が、1714年に亡くなった日です。

1658年、上野国(群馬県)館林藩・勘定奉行の晩年の庶子して生まれた吉保は、幼いころから、館林藩主だった 徳川綱吉 の小姓として仕えました。1680年に綱吉が、実兄の4代将軍徳川家綱の将軍の後継として江戸城に入ると、吉保も幕臣となり、将軍の雑務を担当する小納戸役に任ぜられました。

やがて禄高も1万2000石となって大名に昇格、1688年には老中に次ぐ役割をになう新設されたばかりの側用人に出世しました。さらに、綱吉とその生母の桂昌院の意向に従って政治を行ったため、吉保の権勢は大老をしのぐものとなり、「側用人政治」といわれるようになります。

有名な「生類憐みの令」や、貨幣改鋳による悪貨の乱発など、庶民を苦しめた諸政策によって悪評も高いものの、荻生徂徠や細井広沢ら儒学者を登用して学問を勧め、自ら詩歌や禅に関心をもつなど、文治政治の発展に尽くしたことは高く評価されています。

1694年には石高7万2000石とされ、川越(埼玉)藩主となったばかりか、朝廷にも影響力を持ち、1702年に桂昌院が朝廷から従一位を与えられた功績などから、1704年には、これまで徳川一門にしか与えられなかった甲府藩15万石の藩主となり、1706年には大老格にまで上りつめました。

しかし1709年3月に権勢の後ろだてとなっていた綱吉の死去により、綱吉の甥の家宣が6代将軍になって、新井白石 が権勢を握るようになると吉保は隠居し、1714年江戸本駒込の別荘「六義園(りくぎえん)」で死去しました。


「11月2日にあった主なできごと」

1288年 後醍醐天皇誕生…鎌倉幕府を倒すために失敗を重ねながらも、新田義貞、足利尊氏らの協力で1333年に成功して「建武の新政」を行なうも、尊氏の反乱にあって「南朝」を開くなど、波乱の生涯をおくった 後醍醐天皇 が生まれました。

1755年 マリー・アントアネット誕生…フランス国王ルイ16世の王妃で、フランス革命の際に国外逃亡に失敗、38歳の若さで断頭台に消えた悲劇の王妃 マリー・アントアネット が生まれました。

1942年 北原白秋死去…『赤い鳥小鳥』『あわて床屋』『からたちの花』など800編もの童謡の作詞を手がけた詩人・歌人の 北原白秋 が亡くなりました。

1973年 トイレットペーパー買いだめ騒動…10月におきた第4次中東戦争が引き金となり、第1次オイルショックと呼ばれる石油価格高騰がおこり、品不足への不安から全国のスーパーにトイレットペーパーを求める主婦が殺到しました。

投稿日:2011年11月02日(水) 07:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)