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『昆虫記』 のファーブル

今日10月11日は、フランスの生物学者で、昆虫の行動研究の先駆者といわれるファーブルが、1915年に亡くなった日です。

1823年、南フランスにあるサン・レオン村に生まれたジャン・アンリ・ファーブルは、3歳のとき山村にすむ祖父母のもとに預けられ、大自然にかこまれて育ちました。父が事業に失敗し、家族といっしょに各地を転々としましたが、山村ですごした日々は、ファーブルに自然への興味を育てたようです。

14歳のとき中学を中退し、一家が離ればなれになっても勉強をつづけ、アビニョンの師範学校を優秀な成績で卒業しました。まもなく小学校の先生となり、独学で物理と数学の教師の免状をとり、コルシカ島の中学の教師となりました。向学心の旺盛なファーブルは、教師をしながらも、植物学や自然史研究の専門家から、研究方法や、発表の仕方といった専門的な手ほどきを受けて、物理学、化学の普及書を著しています。コルシカ島から、アビニョン、セリニアンと住居や勤務先は変わっても、子どものころから興味を持っていた昆虫の観察だけはずっと続けていました。

31歳の頃、当時「昆虫学」の大家デュフールの発表した「タマムシツチスガリの研究」という論文の中で、「このハチは、自分の幼虫に食べさせるために、タマムシの幼虫を防腐しておく。このハチの針の毒には腐るのを防ぐ働きがあるようだ」というところに興味をもったファーブルは、実際にこのハチの観察をつづけてみました。すると、「タマムシは防腐されているのではなく、生きたまま麻酔されているため動くことができず、ふ化したハチの幼虫は生きたエサを食べて育つ」と、学会誌に発表したところ、デュフールから、「あなたの意見の方が正しいようです」というはげましの手紙がとどいたばかりか、ダーウィン からも「すぐれた観察者」と讃えられました。さらに、イギリスの哲学者のミルは、金銭的な援助を申し出て、これがきっかけとなって、ファーブルは教師をやめて昆虫の研究に専念するようになりました。

こうして、1879年に『昆虫記』の第1巻を出版、それから2、3年おきに1巻ずつ刊行し、1909年84歳のときに全10巻を完成させました。

なお、ファーブルの詳しい生涯につきましては、いずみ書房のホームページで公開している「オンラインブックス」『せかい伝記図書館』第12巻「ファーブル」をぜひご覧ください。


「10月11日にあった主なできごと」

1841年 渡辺崋山死去…江戸時代後期の画家・洋学者で、著書『慎機論』で幕政批判をしたとして「蛮社の獄」に倒れた 渡辺崋山 が亡くなりました。

1945年 GHQが5大改革を指令…連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーは、「女性の解放」「労働者の団結」「教育の自由化」「専制政治の廃止」「経済の民主化」という5つの改革を指令。戦後の民主化をすすめる第1弾となりました。

1947年 栄養失調で判事死亡…戦後の食糧不足のなか、国民の多くは配給で足りない分を、違法な「闇米(やみごめ)」や闇市でまかなっていましたが、東京地方裁判所の山口良忠判事は、食糧管理法違反という闇米を取り締まる役目をおっていた責任感から、闇米など違法な買い出しをいっさい拒否したため栄養失調で死亡しました。

投稿日:2011年10月11日(火) 07:29

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)