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「安政の大獄」と 橋本左内

今日10月7日は、江戸幕末期の志士として活躍したものの「安政の大獄」で投獄された橋本左内(はしもと さない)が、1859年に斬首された日です。

1834年、越前(福井県)の藩医の長男として生まれた橋本左内は、幼少のころから俊才といわれ、名文を遺しています。家業の医者をつぐため、藩の医学所に学び、13歳のときには父の医療の手伝いをするようになりました。藩の儒学者らに学んだのち、1849年大坂に出て、緒方洪庵 の適塾で、洋学と、蘭方医学を学びました。洪庵門下の秀才として知られ、小浜藩の梅田雲浜、熊本藩の横井小楠らと交遊して、海外知識を吸収しました。父の死のために家督をついだ左内は、19歳で藩医となって医療に従事し、種痘の研究などにはげみました。

さらに勉学を志した左内は、1854年江戸に出て遊学したとき、水戸藩の藤田東湖と交わることで水戸学にふれ、薩摩藩の西郷吉之助(隆盛)とも親しくなって、諸方面に見識を広めていきました。

1855年、藩主の松平春嶽に認められて側近として登用されると、1857年には由利公正らと幕政改革に参画。横井小楠を政治顧問に招いて国政の舞台に出るなど、優れた政治力を発揮するようになりました。

1858年になって、14代将軍をめぐる将軍継嗣問題がおこると、春嶽を助け水戸藩、薩摩藩、土佐藩などとともに 一橋(徳川)慶喜 擁立に奔走します。特に左内は、京都の公家たちに、遠大な統一国家の構想を説いてまわりました。

しかし、彦根藩の 井伊直弼 が大老になると、周囲の反対論を押さえて日本に関税自主権のない不平等な「日米修好通商条約」を結んだばかりか、1859年には14代将軍に家茂を擁立し、一橋慶喜を推した人々をことごとく処罰する「安政の大獄」の大弾圧を行いました。こうして、水戸藩主斉昭の禁錮、慶喜の隠居、松平春嶽、土佐藩主山内容堂らの謹慎、反幕府公卿の辞官や謹慎、吉田松陰、橋本左内、梅田雲浜らたくさんの志士を投獄するなど、連座した人たちは100人以上にのぼりました。

投獄された左内は、江戸小塚原刑場で、儒学者頼三樹三郎( 頼山陽 の3男)とともに、斬首されたのでした。


「10月7日にあった主なできごと」

1674年 狩野探幽死去…江戸幕府代々の御用絵師として、日本画を代表する狩野派の栄える基礎を築いた 狩野探幽 が亡くなりました。

1949年 ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立…西ドイツ成立後1か月もたたないこの日、東ドイツが誕生。ソ連の助けを借りて、社会主義国家として第1歩をふみだしました。なお、41年後の1990年10月3日に両ドイツは統一を回復。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利を放棄して、統一ドイツは完全な主権をもった国家として国際社会に復帰しました。

投稿日:2011年10月07日(金) 05:48

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)