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『広辞苑』の 新村出

今日10月4日は、明治後半から大正・昭和の言語学者、文献学者で、日本を代表する辞典『広辞苑』を著わした新村出(しんむら いずる)が、1876年に生まれた日です。

新村出は、長州藩の旧幕臣で山口県令を務めていた関口家の次男として山口県に生まれましたが、1889年に父が機関車事故で亡くなったのち、徳川15代将軍だった慶喜家に仕える新村猛雄の養子となりました。静岡の中学を卒業後、旧制一高(現・東大教養学部)に在学中に、ドイツ留学から帰国したばかりの上田万年(かずとし)の講演を聞いて、言語学に深い関心をもちました。

言語学をきわめる決意を固めた新村は、東大博言学科に進み、上田万年から専門的指導を受けて卒業、国語研究室助手を経て、1902年に東京高等師範学校教授、1904年には東大の助教授を兼任するまでになりました。その間、上田万年・松井簡治編著による『大日本国語辞典』や、大槻文彦編著『大言海』の編集室に出入りし、本格的な辞典編集の現場を体験しました。

辞典づくりの面白さを知って、先進国である欧米に学ぶ必要性を感じた新村は、1906年から1909年までイギリス・ドイツ・フランスに留学して、言語学研究に専念、帰朝後に京大の教授となりました。言語学講座を担当しながら、上田万年の成果を受け継ぎ、日本語を欧米の言語と比較しながら、その由来や歴史を追求しました。やがて、岡茂雄著による『辞苑』の改訂版の編集を岡から進言された新村は、次男の新村猛を編集スタッフに加えて、鋭意努力しましたが、第2次世界大戦が勃発したため、完成にはいたりませんでした。

そして1955年、『広辞苑』の第1版が完成します。戦後生じた大きな社会情勢の変化、特に仮名遣いの変更や新語の急増などによって、編集作業は難航しましたが、新村父子を中心に、父子と親交のある哲学・史学・文学・科学などの専門家たちの労苦が実ったのでした。『辞苑』改訂作業開始からすでに20年が経過していました。

新村は、初版のはしがきに、簡明にして平易、広範にして周到、雅語漢語、古語新語、慣用語と新造語、日用語と専門語、旧外来語と新外来語、新聞語と流行語……「欧米の辞典のようなものを作ってみたいという夢」が実現できた喜びを記述しています。

新村は、1956年に文化勲章受章、1967年に亡くなりましたが、1981年に「新村出記念財団」がつくられて改訂作業にあたり、2006年末には「新村出生誕130年」「記念財団設立25周年」を記念して、『広辞苑』第6版が発行されています。


「10月4日にあった主なできごと」

1669年 レンブラント死去…「夜警」 「フローラ」 「自画像」 など数々の名画を描き、オランダ最大の画家といわれる レンブラント が亡くなりました。

1814年 ミレー誕生…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家 ミレー が生まれました。

1957年 初の人工衛星…ソ連が世界初となる人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功しました。これ以降、アメリカとソ連の宇宙開発競争が激しさを増していきました。

投稿日:2011年10月04日(火) 07:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)