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『百科全書』 のディドロ

今日10月5日は、フランスの啓蒙思想家で、「フランス革命」にも大きな影響を与えた『百科全書』を編集したディドロが、1713年に生まれた日です。

シャンパーニュ地方ラングルの裕福な刃物師の息子として生まれたドゥニ・ディドロは、イエズス会の学校で学んだ後、パリ大学に学び、優秀な成績を修めました。法律家をめざしましたが、次第に文学にひかれるようになりました。

1732年からパリに出て、教師や翻訳をしながら、哲学、芸術、科学など、広いジャンルにわたる研究をし、その成果を、多くの論文に著しました。そんな中、イギリスで刊行されたチェインバース百科事典に出あいました。当初はこの百科のフランス語版を出そうとしましたが、そのうち当時の技術的・科学的な知識の最先端を集めた出版物を構想するようになり、これが18世紀を代表する出版物『百科全書』編さんのきっかけでした。

1751年ディドロは、名声の高かった知人のダランベールに共同編集者を依頼し、自身でもかなりの項目を執筆しながら、編集作業に没頭します。総執筆者は184人、『百科全書』の執筆に参加した人々は通常「百科全書派」と呼ばれていますが、そのなかにはボルテール、モンテスキュー、ルソー、ケネーらも含まれています。しかし、その作業は容易なものではなく、1757年にダランベールの執筆した項目にルソーやボルテールらが異議を唱えて協力を拒否したり、『百科全書』が企画段階から体制側との緊張関係のなかで刊行されたものであったため、1759年には『百科全書』の出版許可そのものが取り消されてしまいました。

ディドロは非合法的に編集作業を続け、刊行が再開されるのは1765年のことで、ついに1772年に完成させました。企画から20年以上、本文と図版をあわせ全28巻、他に補巻と索引のついた大規模な『百科全書』は、現代の百科事典に相当するもので、思想や科学の発達に大いに貢献するとともに、知識が制限されていた国民を啓蒙させ、フランス革命の遠因となりました。

政府からたえずにらまれていたディドロでしたが、ロシアの女帝エカテリーナ2世に気に入られ、『百科全書』の完成後、蔵書を買い上げて生涯使用する権利を与えてくれた上、300フランの年金を出してくれることになりました。その謝意を表するため、ディドロは1773年にロシアを訪問しています。晩年は、終生のテーマである道徳の問題を、古代ローマ時代の哲学者セネカの生涯を通して完成させ、1784年に亡くなりました。


「10月5日にあった主なできごと」

528年 達磨死去…「七転び八起」のことわざでおなじみのダルマさんのモデルとなった中国禅宗の開祖・達磨 が亡くなりました。

1274年 文永の役…元(今の中国)の皇帝フビライは日本を属国にしようと、2万人の軍隊と朝鮮(高麗)軍1万5千人を率いて対馬を占領後、博多に上陸しました。しかし、おりからの嵐にあって朝鮮へ引き上げました。1281年にも再上陸(弘安の役)を企てますが、このときも嵐にあって失敗。この2度にわたる元の襲来を「元寇(げんこう)」とよび、人々はこれを「神風が吹いた」と語りついできました。

1392年 南北朝が合一…北朝と南朝に分かれて対立していた朝廷でしたが、「明徳の和約」によって交互に天皇を出すことを約束、50年にわたる南北朝の争いを終えました。

1938年 河合栄治郎の著書発禁…自由主義者を自認する東大の経済学部の教授だった河合栄治郎の著書「ファッシズム批判」など4冊の著書が発売禁止となりました。

投稿日:2011年10月05日(水) 07:54

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)