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軍部独裁の道を開いた田中義一

今日9月29日は、明治・大正・昭和初期の陸軍軍人・政治家の田中義一(たなか ぎいち)が、1929年に亡くなった日です。

1864年長州藩士の子として萩にうまれた田中は、12歳のとき、明治政府に対する士族の反乱「萩の乱」に加わりました。しかし、未成年だったために許され、村役場の職員や小学校の教員を務めた後、1883年に陸軍へ入り、陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業して、日清戦争に従軍しました。このとき、軍政家としての手腕を発揮し、第1師団の参謀になります。

日清戦争後は、すこしずつ敵対してきたロシアの軍状調査のため、1898年にロシア留学を命じられました。留学中の田中は、ロシア正教に入信して、日曜ごとに知り合ったロシア人を誘って教会へ礼拝に行くなど徹底したロシア研究に専念、同時期にロシア留学をしていた海軍の広瀬武夫とも親しくして、陸軍屈指のロシア通となりました。

1902年に帰国、対ロシア開戦を積極的に主張。2年後に勃発した日露戦争では、満州軍参謀として各地を転戦して中佐になりました。この間、ロシア軍に協力していた張作霖を銃殺寸前に助け、張を手先に満州侵出する道を開きます。さらに、戦後に提出した『随感雑録』が山県有朋に評価されて、帝国国防方針の草案を作成するほど重要視されました。1910年には、国民を軍事的に組織化することをねらった「帝国在郷軍人会」を設立したり、陸軍を2個団に増設させることで政府と対立し、西園寺公望内閣を倒す原因をこしらえるなど、陸軍の中枢をになうようになります。参謀次長となった1915年には、原内閣、第2次山本内閣で陸軍大臣をつとめ、陸軍省内に新聞班を創設して、マスコミを陸軍に有利な報道をするようにしむけました。

やがて政界への転身を図った田中は、1925年に政友会総裁に就任し、1927年に首相になりました。1928年2月に第1回普通選挙が行われましたが、この選挙で社会主義的な活動がめだったことで、同年3月に全国の社会主義者、共産主義者を一斉に検挙するという大弾圧をおこないました(三・一五事件)。さらに、露骨ともいえる中国侵略政策を推し進め、山東出兵を強行しました。その頃に起きた「張作霖爆殺事件」に際して、明らかに日本軍による暗殺であったにもかかわらず、犯人不明としてその責任者を単に行政処分で終わらせました。

しかし1929年になって、「満州某重大事件」として野党から張作霖爆殺事件を厳しく追及され、昭和天皇が田中を強く叱責したこともあって、7月に内閣は総辞職。まもなく既往のあった狭心症で亡くなりました。

なお、『昭和天皇独白録』で天皇は、田中を叱責したことが内閣総辞職につながっただけでなく、死に追いやる結果にもなったかもしれないことに責任を痛感し、以後は政府の方針に不満があっても、いっさい口をはさまないことを決意した、と記しています。


「9月29日にあった主なできごと」

1801年 本居宣長死去…35年かけて完成させた『古事記』注釈の集大成『古事記伝』44巻など、数多くの古代日本を探る研究書を著した江戸時代中期の国学者・本居宣長 が亡くなりました。

1805年 ネルソン死去…トラファルガル沖海戦で、フランス・スペイン連合艦隊をうちくだいたイギリス海軍の提督 ネルソン が戦死しました。

投稿日:2011年09月29日(木) 07:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)