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沖縄自由民権の父・謝花昇

今日9月28日は、明治時代に沖縄自由民権運動を指導するものの、失意のうちに亡くなった謝花昇(じゃはな のぼる)が、1865年に生まれた日です。

沖縄本島の東風平(こちんだ)村に、農家の長男として生まれた謝花は、小学時代から俊才といわれるほど優秀でした。師範学校に入学した翌年の1882年、第1回県費留学生5人の一人に抜てきされて上京。学習院漢学科をへて、東京山林大学(現・東大農学部)に入学、在学中から中江兆民のもとを出入りし、また木下尚江や幸徳秋水らとも知りあって、自由民権運動に触れました。その時期は、帝国憲法の発布、国会開設、教育勅語の公布など、日本が近代国家へ歩む時代でもありました。

1890年に卒業後、新しい時代の息吹を胸にふるさと沖縄に帰った謝花は、農業の改善をめざして県庁の技師となりました。2年後には沖縄県人として初の高等官となって農業の近代化に奔走しました。ところが、県知事に赴任した奈良原繁と杣山(そまやま)問題などで対立して退職しました。知事が杣山といわれる山林を貧窮士族たちに払い下げて開墾させようということでしたが、それは大義名分にすぎず、農民から土地を奪って私腹を肥やすことを見抜いたためでした。

野にくだった謝花は、同志をつのって遊説にまわり、知事の失政をみんなで追及しようとさけび、上京して知事の更迭を訴えました。さらに、私財を投じて高陽社を結成、農家に農機具や肥料を売って資金をねん出し、機関誌『沖縄時論』を発行して、知事一派の排撃運動をおこしました。当時はまだ、県会も郡会も開設されていないときだったため、県政を革新するためには、中央政界に持ち出さなくてはなりません。そこで謝花は、沖縄倶楽部という政治結社をつくり、県民の参政権運動を展開して、沖縄における自由民権運動を主導していったのです。しかし、奈良原県政やそれに癒着する旧支配者層の抵抗は大きく、さまざまな妨害にあいました。それでもなんとか努力が実って、1899年に沖縄県民に参政権を付与する選挙法改正案が議会に提出されました。

ところが、時期尚早を主張する政府の反対にあい、権利は与えるが、実施は勅令によって定めることとなり、いわば有名無実に終わってしまったのです。謝花にとって、これは敗北に等しいものでした。同志は、またたく間に去っていき、運動は急速にしぼんでいきました。全財産を失い、もはや沖縄が住める場所ではなくなってしまった謝花は、1901年、生活の苦しさから職を求めて山口県へ赴く途中、精神に異常をきたし、不遇のうちに1908年、44歳の若さで病死したのでした。


「9月28日にあった主なできごと」

1895年 パスツール死去…狂犬病ワクチンを初めて人体に接種するなど、近代細菌学の開祖といわれるフランスの細菌学者・化学者 パスツール が亡くなりました。

1970年 ナセル死去…スエズ運河の国有化、アスワン・ハイ・ダムの建設につとめ、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国)の指導者として活躍したエジプトの ナセル が亡くなりました。

投稿日:2011年09月28日(水) 07:58

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)