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古学派の祖・山鹿素行

今日9月26日は、江戸時代前期に活躍した儒学者で、官学の「朱子学」に対抗し「古学派」をおこした山鹿素行(やまが そこう)が、1685年に亡くなった日です。素行は、山鹿流兵法を始めたことでも知られています。

1622年、伊勢亀山藩出身の父が、陸奥国会津に仕えていたときに生まれた素行は、6歳で江戸に出ました。9歳のとき幕府の大学頭を務めていた林羅山の門下に入って朱子学を学び、15歳からは当時最高の兵法家といわれた小幡景憲・北条氏長に入門して軍学を学び、さらに神道、歌学、老荘、諸子百家、仏教学などの教養を身につけました。

1644年頃から兵法家として有名になった素行は、松平定綱ら10人以上の大名をはじめ、たくさんの弟子をかかえるほどとなり、1652年には、播州(兵庫県)赤穂藩に禄高一千石で仕えました。1665年に江戸にもどってからは、兵法や儒学の師匠となり、その門下はのべ2000人を超えたといわれています。

素行の説く儒学は、幕府の勧める「朱子学」に批判的でした。(朱子学はあくまで中国のもので、金や蒙古に攻められて「宋王朝」が滅びようとするときにおこった学問であるため、異民族にも通用する知識偏重の学問でなくてはならなかった。江戸時代の武士はどうあるべきかといった、もっと実践的なものでなくてはならない)と、「古学派儒学」を提唱したのです。(素行の説く「古学派」は、伊藤仁斎や荻生徂徠に受け継がれ、仁斎は京都の町衆の商行為はどうあるべきか、徂徠は幕府政治をどうすべきかといった、より具体的で、実践的な問題に取り組んでいます)

ところが1665年、独自の考えを『聖教要録』3巻に著わしたところ、官学である朱子学を批判したものとされて捕えられ、赤穂藩お預けの身とされてしまいました。幽閉されていた9年間に、素行は、赤穂藩士の教育を行い、のちに「忠臣蔵討ち入り事件」で有名になった赤穂藩家老 大石良雄(内蔵助) も門弟の一人でした。

1675年に許されて江戸へもどってからは、自宅を道場として、武家主義の立場をとり、兵学など武士階級を擁護する教育を行いました。たくさんの著書を遺して、独特の日本主義思想を展開しました。「学校は、学問を教え、ものを読み習わすところでなく、道徳を教えるところであり、人間をつくるところだ」といった教えは、幕末に松下村塾を開いた吉田松陰らに、大きな影響を与えています。

なお、忠臣蔵討ち入りで、内蔵助がたたいたのは「山鹿流陣太鼓」で、山鹿流が「実戦的な軍学」と評判になったのは事件以後のことでした。


「9月26日にあった主なできごと」

1904年 小泉八雲死去…「耳なし芳一」 や 「雪女」 などを収録した 『怪談』 などを著し、日本の文化や日本の美しさを世界に紹介したラフカディオ・ハーンこと 小泉八雲 が亡くなりました。

1943年 木村栄死去…日本の天文観察技術の高さを世界に知らせた天文学者・木村栄 が亡くなりました。

投稿日:2011年09月26日(月) 06:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)