今日9月21日は、『チゴイネルワイゼン』 などフラメンコを採り入れた曲で名高いスペインの作曲家・バイオリン奏者のサラサーテが、1908年に亡くなった日です。
「チゴイネルワイゼン」とは、ドイツ語で「ジプシーの歌」という意味で、その名前のように、ハンガリーのジプシー音楽や民謡をもとにチャルディッシュという、舞曲形式でかかれたものです。3楽章からなり、いかにもジプシーふうの哀愁に満ちたメロディではじまる1楽章、弱・強・弱とテンポを変えて甘美なメロディで続ける2楽章、そして、バイオリニストの腕のみせどころというベきピチカート奏法という両指を使った急速・超難技巧の連続のうちにクライマックスをむかえる3楽章と、技巧に自信のある演奏者にとって、格好の曲といわれています。(2000年代以降、日本では「ジプシー」を差別用語、放送禁止用語とし、『ロマ』といいかえているようですが、こういう傾向に疑問をもつのは私だけではなさそうです)
1844年スペイン北部バスク地方のパンプローナに生まれたパブロ・デ・サラサーテは、8歳のときに初めての公演をし、10歳のときにスペイン女王イサベル2世の前で演奏を披露したといわれる早熟の天才です。(この時、女王から贈られた名器ストラディバリを、生涯手放すことはありませんでした) 12歳でフランスに渡り、パリ音楽院に入学、バイオリン科を主席で卒業しました。
17歳のとき、ロンドンでの初公演に成功してからは、バイオリンの独奏家としてヨーロッパを中心に世界各地で演奏旅行を行い、魅惑的な演奏法と、優れた記憶力で聴衆を魅了させました。1865年には、知り合ったサン=サーンス(組曲『動物の謝肉祭』の1曲『白鳥』が特に有名)と演奏旅行をしました。サン=サーンスは『序奏とロンド・カプリチオーソ』など数曲をサラサーテに献呈しているほか、チャイコフスキーやブラームスらにも大きな影響を与えました。
作曲家としてのサラサーテの作品のほとんどは、バイオリンと管弦楽のための作品で、とくにアンダルシアのフラメンコを採り入れた『アンダルシアのロマンス』『サパテアード』など、『チゴイネルワイゼン』以外にもスペインの民謡や舞曲の要素を盛りこんだ曲を多く遺しています。
なお、私が小学生のころ、初めて『チゴイネルワイゼン』を聞いた時、「なんと素晴しい音楽なのだろう」と強烈な感銘をおぼえたことを思い出します。以来、クラシック音楽の奥深い世界に興味を持つきっかけになりました。おそらく、セミクラシックといえば、多くの人が私と同様、この曲をベスト5の一曲に挙げるにちがいありません。
「9月21日にあった主なできごと」
1933年 宮沢賢治死去…「雨にも負けず」 などの詩や 「風の又三郎」 「銀河鉄道の夜」 「セロ弾きのゴーシュ」 などの童話を著した 宮沢賢治 が亡くなりました。
1954年 御木本幸吉死去…真珠養殖の成功とそのブランド化などで財をなした 御木本幸吉 が亡くなりました。