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「大奥」 と春日局

今日9月14日は、江戸幕府3代将軍 徳川家光 の乳母で、江戸城大奥の基礎を築いた春日局(かすがのつぼね)が、1643年に亡くなった日です。

春日局(本名・齋藤 福)は1579年、明智光秀の重臣だった斎藤利三のむすめとして、美濃国(いまの岐阜県)生まれました。父は、1582年の「本能寺の変」で光秀とともに信長を討ったあと、秀吉に「山崎の合戦」で敗退した後に処刑されました。

福は女だったために、兄弟たちのように追われることなく、母方のいとこである稲葉重通の養女として養育され、公家たちの素養(書道・歌道・華道など)を身につけることができたのは幸いでした。やがて、稲葉氏の縁者で小早川秀秋の家臣である稲葉正成(まさしげ)の後妻となって、正勝ら3人の子を生みました。

正成が、「関ヶ原の戦」で、主君を説得して小早川軍を東軍に寝返らせ、徳川家を勝利に導いた功労者であることで、1604年に2代将軍徳川秀忠の次男竹千代(のちに第3代将軍となる徳川家光)が生れると、福は、その乳母に抜てきされました。

しかし、秀忠と妻である江(ごう)が、竹千代よりも3男の忠長をかわいがって、忠長を将軍にしたいと考えているのを知った福は、駿府(静岡)に移り住んでいた家康を密かにたずね、大御所の力で竹千代を正式に将軍の跡継ぎとしたと伝えられています。

こうして、家光が第3代将軍になると、春日局(朝廷から1629年に賜った称号) は、「大奥」(江戸城内に存在した将軍家の子女・正室・御殿女中たちの居場所) をまかされ、大奥一の実力者として権勢をほしいままにしました。さらに、朝廷との交渉の窓口に立つなど、徳川政権の安定化に寄与しました。その勢力は家族にもおよび、夫の正成は大名に取りたてられ、子の正勝は老中になったばかりか、その縁者も要職に就いています。

松平信綱、柳生宗矩とならび、家光を支えた3人のひとりに数えられる「春日局」の生涯については、ベールにつつまれている部分が多く、さまざまな異説があります。当時の創作物語から、現代に至るまで、小説、映画、テレビドラマ、漫画などで人気を呼びつづけているのは興味深いところです。


「9月14日にあった主なできごと」

1321年 ダンテ死去…イタリアの都市国家フィレンツェに生まれた詩人で、彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』や詩集『新生』などを著し、ルネサンスの先駆者といわれる ダンテ が亡くなりました。

1822年 ロゼッタストーン解読…1799年 ナポレオン がエジプト遠征の際に持ち帰ったロゼッタストーンを、フランスのシャンポリオンが解読に成功。古代エジプト文明の存在を解明するきっかけになりました。

1849年 パブロフ誕生…消化腺と条件反射の研究でノーベル賞を受賞したロシアの科学者 パブロフ が生まれました。

投稿日:2011年09月14日(水) 06:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)