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悲劇の中国指導者・林彪

今日9月13日は、中国共産党の軍事指導者だった林彪(りん ぴょう)が、毛沢東 の後継とされながらも、毛との路線の違いからクーデターをおこして失敗、1971年にモンゴル国境付近で墜落死した日です。

1907年に湖北省の工場主の子として生まれた林彪は、広州の軍人を養成する学校を優秀な成績で卒業後、1923年に中国社会主義青年団に参加し、中国共産党に入党しました。1932年には、第一軍団司令となって、井崗山で毛沢東に合流、1万2千kmにおよぶ長征にも参加しました。当時の活躍ぶりは「英雄的な指揮官」として名をはせています。

抗日戦争では、八路軍を率いて山西省で遊撃戦を指揮し、第二次世界大戦後に勃発した中国国民党との内戦では、東北紅軍総司令として若い指揮官をうまく指導し、米軍式軍隊を誇る蒋介石軍を撃破しました。そして、1949年の中華人民共和国成立後は、中南軍政委員会主席となり、朝鮮戦争が勃発すると、林彪の育てた精鋭部隊が「中国人民義勇軍」とし活躍します。

こうして、軍の指導者として頭角をあらわした林彪は、1954年に国防委員会副主席、1955年に政治局委員、1958年には党副主席と、中国共産党の中で序列第6位の地位を確保します。そして、1959年に開催された「政治局拡大会議」において、毛沢東を批判した国防部長が解任されると、林彪が国防部長に就任、党中央軍事委員会第一副主席に任命されて、軍の第一人者となりました。さらに、1965年後半からはじまった文化大革命で重要な役割を演じたことで、1966年には党内序列第2位に昇格、1969年の第9回党大会では、正式に毛沢東の後継者と認定されました。

ところが、空席となっていた国家主席の廃止案を毛沢東が表明すると、林彪はそれに同意せず、野心を疑われることになりました。そのため林彪派たちは、毛沢東の国家主席就任や毛沢東天才論を主張して毛沢東を持ち上げるものの、疑心暗鬼となった毛沢東は、林彪派をしめだすようになりました。

こうして、1971年9月、毛沢東暗殺のクーデターを企てたものの失敗し、旅客機で息子の林立果らと逃亡中に、モンゴル国境付近で墜落死したとされています。毛沢東がこれを発表したのは、10か月後のことだったため、さまざまな憶測が流れ、燃料切れ説、仲間割れによる墜落説、中ソ関係悪化を恐れた当時のソ連によるミサイル撃墜説など、真相はいまだにわかっていません。


「9月13日にあった主なできごと」

1592年 モンテーニュ死去…世界的な名著 「随想録」の著者として、400年以上たった今も高く評価されているフランスの思想家 モンテーニュ が亡くなりました。

1733年 杉田玄白誕生…ドイツ人の学者の書いた人体解剖書のオランダ語訳『ターヘル・アナトミア』という医学書を、苦労の末に『解体新書』に著した 杉田玄白 が生まれました。

1975年 棟方志功死去…仏教を題材に生命力あふれる独自の板画の作風を確立し、いくつもの世界的な賞を受賞した版画家 棟方志功 が亡くなりました。

投稿日:2011年09月13日(火) 06:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)