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「獄中18年」 の徳田球一

今日9月12日は、戦前に共産党が非合法の時代に18年も投獄され、戦後に初代日本共産党書記長を務めた徳田球一(とくだ きゅういち)が、1894年に生まれた日です。

徳田は、沖縄県名護市に生まれ、苦学して日本大学の夜間部を卒業し、弁護士になりました。1920年、日本社会主義同盟に加わり、ソ連から帰国後の1922年、非合法の日本共産党(第一次共産党)結成に参加して中央委員として活躍。逮捕されるものの、堺俊彦や山川均らが党を解党することに反対し、活動をつづけました。1928年の第1回普通選挙には、労働農民党から出馬するものの落選、直後に治安維持法違反で逮捕されました。そして3月15日、社会主義的な政党活動に危機感を抱いた政府(田中義一内閣)は、治安維持法違反容疑により、労働農民党などの関係者約1600人を、一斉検挙したのです(三・一五事件)。こうして、首謀者とされた徳田は、信念をまげず、そのまま獄中で18年を過ごすことになりました。

敗戦後の1945年10月、府中刑務所を訪れたフランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力によって発見された徳田は、のちに『獄中18年』を共に著す志賀義雄らと出獄。まもなく日本共産党を再建し、同年12月の第4回党大会で書記長に就任しました。1946年には中華民国から帰国した野坂参三と共に衆議院議員に当選し、オヤジ・徳球(特急のもじり)の愛称で、党内外の大衆的人気を博しました。

しかし1950年、マッカーサー指令によるレッドパージや、共産党の内部分裂もあって公職追放された徳田は、中国に亡命。やがて亡命先から地下放送を通じて武装闘争方針を指示、野坂参三らとの対立が表面化するころには、徳田の体力も限界となり、1953年に北京で病死しましたが、1955年まで公表されませんでした。

徳田の死を知った 吉田茂 は、徳田のことを次のように回想しています。「首相になってからは、よく本会議場で顔を合わせた。氏が演説するとき、ヒナ壇の前を通りかかると(きょうはやりますよ!)とかなんとかいっておどかす。終わると(どうです、参ったでしょう!)と冷やかしてゆく。その後、自由党が野党になって(1947年5月)からは、ときどき控室へやってくるので、(自由党に入党したのか)とからかうと、頭をかいて逃げ出していった。個人的なつきあいはないが、面白い人物だといつも思っていた」と綴っています。


「9月12日にあった主なできごと」

1571年 延暦寺の焼き討ち…織田信長は、比叡山延暦寺を攻め、堂塔を焼き払い、僧徒らを皆殺しにしました。領地をめぐる確執から、近江の浅井氏、越前の朝倉氏の軍勢を延暦寺が受け入れたこと、延暦寺が広大な寺領を誇り、大勢の僧兵をかかえて信長に反抗的だったのが原因でした。

1821年 塙保己一死去…「群書類従」という、わが国有史以来の文献のうち価値ある研究資料3373点を25部門に分類した叢書を著した、盲目の国学者 塙保己一 が亡くなりました。

1872年 新橋-横浜間に鉄道が開通…新橋と横浜をむすぶ約29kmでわが国初の鉄道が開通、この日明治天皇を乗せた祝賀列車が走りました。翌日から旅客や貨物の輸送がはじまり、これまで1日かかったところを53分に短縮しました。上り下り共毎日8往復、料金は1円42銭5厘、75銭、37銭5厘の3階級でした。

1940年 ラスコーの壁画発見…フランスの子ども4人が遊んでいるうち偶然に発見。洞窟の側面と天井面には、たくさんの馬や山羊、野牛、鹿などの絵があり、旧石器時代後期(1万5000年ほど前)のクロマニョン人によって描かれたものと推定されています。

1960年 浅沼稲次郎暗殺事件…東京・日比谷公会堂で行なわれていた自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会で、演説中の社会党(現社民党)委員長浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年に暗殺されました。

投稿日:2011年09月12日(月) 07:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)