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現代の民話作家・星新一

今日9月6日は、「ショート・ショート(掌編小説)1001編」などを著わしたSF作家の星新一(ほし しんいち)が、1926年に生れた日です。

現・東京文京区に、星薬科大学の創立者で星製薬創業者の長男として生まれ、めぐまれた家庭に育った星は、中学在学中に太平洋戦争が開戦しました。敵性語になることをみこして英語をまったく勉強せず、他教科に力を入れて、要領よく飛び級で東大に入学しました。このため秀才と呼ばれましたが、戦後になって英語力の不足を補うために、個人授業を受けるなど、さんざん苦しんだと語っています。

東大農学部を満21歳で卒業、同大学院在学中の1951年に父が急死、大学院を中退して、会社を継ぎました。当時の星製薬は経営が悪化していて、まもなく破綻。会社を他人に譲るまでその処理に追われました。この過程で数限りない辛酸をなめた星は、厳しい現実に嫌気がさし、空想的な「空飛ぶ円盤」に興味を持つようになり、たまたま近くにあった「空飛ぶ円盤研究会」に参加しました。

1957年、同研究会で知り合った人たちと日本初のSF同人誌「宇宙塵」を創刊。翌年同誌に発表した『セキストラ』が、江戸川乱歩編集による雑誌「宝石」に転載されて作家デビューを果たしました。当時の宇宙開発ブームと重なって、日本SF文学の旗手として脚光を浴びました。

以来、400字詰め原稿用紙10数枚程度の「ショートショート」と呼ばれる短編小説を次々に発表。むずかしい漢字をいっさい使わず、わかりやすい文章を心がけ、余計な心理・情景描写や形容をすべて削ぎ落とした、まるで民話のような作品は、大人から小中学生の子どもたちにまで支持されました。『ボッコちゃん』『ようこそ地球さん』『きまぐれロボット』など1000編を超えるショートショートのほか、インターネット社会を予見した『声の網』などの長編、大正時代に栄華を極めた父・星一の壮年期を描いた『人民は弱し 官吏は強し』、『祖父・小金井良精の記』などのノンフィクションも遺しています。

1997年に71歳で亡くなるまで、「ショートショート」の細かな表現を推敲し続け、その翌年、それらの功績が称えられ、日本SF大賞特別賞が贈らました。刊行部数は、「新潮文庫」だけでも3000万部に及び、今なお「角川文庫」などで復刊・増刷が行われているのも、時代の古さを感じさせない「現代の民話」だからに違いありません。


「9月6日にあった主なできごと」

1522年 初の世界周航…スペイン王と西回りでアジアの香辛料を入手する契約を結んだ マゼラン 隊の一せきが、人類初の世界一周をはたしました。

1858年 広重死去…「東海道五十三次」などの風景版画の傑作を描き、フランス印象派の画家やゴッホ、ホイッスラーらに大きな影響を与えた、浮世絵師・安藤(歌川)広重 が亡くなりました。

1998年 黒沢明死去…『羅生門』『生きる』『七人の侍』『赤ひげ』 など、数多くの名作映画を生み出し「世界のクロサワ」と讃えられた映画監督 黒沢明 が亡くなりました。

投稿日:2011年09月06日(火) 07:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)