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明治の元老・井上馨

今日9月1日は、幕末の長州藩士、政治家、実業家として活躍した井上馨(いのうえ かおる)が、1915年に亡くなった日です。

長州藩士の子として、1835年に生まれた馨(幼名勇吉のちに聞多)は、藩校明倫館に入学した後、1857年江戸へ出て蘭学と砲術を学びました。次第に尊皇攘夷運動に共鳴し、1862年には高杉晋作や久坂玄瑞らとともにイギリス公使館の焼討ちに参加するなどの過激な行動を実践します。

1863年、藩の命により 伊藤博文 ら5人の一人としてイギリスへ留学、国力の違いを目の当たりにして開国論に転じました。下関での外国船砲撃事件のことを知って伊藤とともに急ぎ帰国、和平交渉に尽力しました。このため反対派に襲われて瀕死の重傷を負い、母親によってかろうじて命を落とさずにすみました。別府に逃れ、療養して回復すると、高杉晋作らと協調して決起し、再び藩論を開国攘夷に統一します。1865年、坂本龍馬の仲介で薩摩藩と同盟し(薩長同盟)、第2次長州征伐で幕府軍に勝利したことは歴史の示す通りです。

明治維新後は官界に入って、地租改正や秩禄処分という士族や華族の家禄の配分など財政に力を入れましたが、1873年、予算問題や尾去沢銅山の汚職事件を追及されて辞職、三井財閥を背景に実業界に身を転じました。しかし、伊藤博文の強い要請のもとに1875年に政府にもどり、1879年外務卿(のちの大臣)となって、条約改正交渉を担当。鹿鳴館で舞踏会やバザーを開いて(鹿鳴館時代)、日本の開化ぶりを外国人に認めさせようとしたのは有名です。さらにパリやベルリンに劣らぬ首都を建設しようと官庁集中計画を進めましたが、1887年にまとめた条約改正案に批判が集中して井上は辞任、計画も頓挫してしまいました。

それ以後も井上は、伊藤博文、山県有朋とともに長州伐の政治家として、農商務大臣、大蔵大臣などを歴任して大きな発言力を維持し、実業界の発展にも力を尽くして、紡績業・鉄道事業など殖産興業にもつとめました。


「9月1日にあった主なできごと」

1923年 関東大震災…午前11時58分、関東地方一帯に震度7.9(激震)という大地震・関東大震災がおこりました。東京では130余か所で火災がおきて半分以上を焼き尽くし、関東全域で死者10万人以上、災害にあった人は400万人にものぼりました。不安が高まる中に「朝鮮人が暴動をおこした」「井戸に毒を流した」などというデマが乱れとび、罪のない朝鮮人や中国人数千人が殺されました。

1939年 第2次世界大戦…ヒトラーの率いるドイツ軍は、突然隣国のポーランドに侵攻しました。この行動に対し、イギリスとフランスは、兵を引き上げるように要求しましたがヒトラーはこれを受け入れず、9月3日に英仏はドイツに宣戦布告、第2次世界大戦が勃発しました。戦争はヨーロッパ全体に広がり、やがて世界のほとんどを巻きこむ大戦争になっていきました。

1960年 防災の日…前年に襲来して、5000人を越える死者・行方不明者、39000人の負傷者という大災害をおこした伊勢湾台風と、関東大震災のおきた日にちなみ、防災意識を高めようと、政府はこの日を「防災の日」と定めました。

1983年 大韓航空機撃墜される…ニューヨーク発、バンクーバー経由ソウル行の大韓航空機が、誘導装置の設定ミスによるソ連領空侵犯のために、ソ連戦闘機に撃墜され、乗客乗員269人が死亡しました。

投稿日:2011年09月01日(木) 06:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)