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「時宗」 を開いた一遍

今日8月23日は、鎌倉時代中期の僧侶で、「念仏札」を唱えれば成仏できると説く「時宗」を開いた一遍(いっぺん)が、1289年に亡くなった日です。

1239年伊予国(愛媛県)の有力な士族の子として生まれた一遍(幼名・松寿丸)の一家は、1221年の「承久の乱」で倒幕に敗れた後鳥羽上皇方についたために没落、また10歳のとき母が死ぬという不幸が重なって出家し、天台宗の寺で学びました。13歳になったとき九州の大宰府に移り、法然の孫弟子に当たる僧の下で10年以上にわたり浄土宗を学びました。

1263年25歳の時に父の死をきっかけに故郷にもどり、武士として生活しましたが、一族の所領争いなどがあって1271年に再び出家、信濃の善光寺、摂津の四天王寺、紀伊の高野山など、各地を転々としながら修行に励みました。

やがて、熊野神宮の本宮をお参りしたとき、阿弥陀如来の化身とされる熊野の神が夢にあらわれ、「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」とのお告を受けました。この時が一遍と名乗り、浄土教の一派「時宗」を開いた瞬間でした。

こうして確信を得た一遍は、「南無阿弥陀仏・決定(けつじょう)六十万人」と書いた念仏札を配り、これを唱え続ければ、だれでも救われると、全国をめぐることになります。北は奥州から南は鹿児島まで、ひたすら歩きまわりました。当時はどこでも、戦乱や疫病、飢饉で苦しんでいました。人々はこの単純明快な教えに飛びつき、信者はこれまでの仏教信者とは比較にならないほど増加しました。

そのうち一遍は、浄土教の先駆者とされる空也にならって「踊念仏」を取り入れました。念仏を唱えながら踊るもので、行く先々で人気を得たといわれています。一遍は特定の寺に本山を置くことなく、50歳で亡くなるまで、布教をつづけました。

なお、『一遍上人絵伝』(国宝・国立博物館蔵)は、一遍の生涯を詳細に伝えるとともに、当時の社会や経済の実情がわかる資料としても貴重なものです。


「8月23日にあった主なできごと」

1868年 白虎隊の最期…明治新政府軍と旧幕府との間の戦争を戊辰戦争といいますが、旧幕府軍の拠点である会津藩(福島県)に、白虎隊という16歳〜17歳の会津藩士の子弟343人で構成された組織がありました。8月に入ると新政府軍は会津の鶴ヶ城へせまり、落城寸前になった22日、白虎隊の出陣が許され激しい戦いにいどみました。そして翌日、城が煙につつまれているのを見た生き残りの隊員20名は、飯盛山で命を絶ったのでした。

1879年 滝廉太郎誕生…明治時代の洋楽揺籃期に、『荒城の月』『花』などの歌曲や、『鳩ぽっぽ』『お正月』などの童謡を作曲した 滝廉太郎 が生まれました。

1914年 日本対ドイツ戦に参戦…第1次世界大戦がはじまり、日英同盟を結んでいた日本は、ドイツに宣戦を布告しました。ヨーロッパ諸国がアジアから撤退しているすきに、中国に手を伸ばすのが日本のねらいでした。

投稿日:2011年08月23日(火) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)