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初の庶民学校を開いた熊沢蕃山

今日8月17日は、江戸時代の初期、陽明学派の儒者として活躍した 熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)が、1691年に亡くなった日です。

1619年、京都で生まれた蕃山(幼名・左七郎)は、母方の祖父、熊沢家の養子となり熊沢姓を名乗ることとなりました。1634年、知人の紹介で備前国岡山藩主・池田輝政の孫にあたる池田光政に仕えます。1642年には一時池田家を離れ、近江国桐原(現・近江八幡市)の祖父の家へ戻ったとき、中江藤樹の門下に入って陽明学を学びました。

1645年再び岡山藩に出仕すると、陽明学に傾倒していた光政は、蕃山を重用しました。1641年全国に先駆けて開校した藩校「花畠教場」を中心に活動。1647年には側役、知行300石取りとなり、1649年には光政に随行して江戸の藩邸で仕えました。さらに、1650年鉄砲組番頭に抜てきされて、3千石の上士に昇進。1651年庶民教育の場となる「花園会」の会約を起草し、これが1670年日本初の庶民学校として開かれた「閑谷学校」の前身となりました。1654年に備前平野を襲った洪水と大飢饉の際には、蕃山は光政を見事に補佐し、飢民の救済に尽力しました。治山・治水等の土木事業により土砂災害を軽減し、農業政策を充実させるなど、光政から「国政をまかせる」といわれるほどの信任をえたのでした。

ところが、大胆な藩政の改革は、守旧派の家老らとの対立をもたらしました。また、蕃山が、「儒学」であっても幕府が官学とする「朱子学」に対立する「陽明学」であるため、幕府の朱子学派・保科正之や林羅山らの批判を受けて、岡山城下を離れ蕃山(しげやま 現・備前市蕃山)に隠棲を余儀なくされました。(「蕃山」の号はこの地名に由来)

1657年には幕府と藩の反対派の圧力が強く岡山藩を去り、京都に移り私塾を開いたり、吉野山に隠居したりしながらも、幕府の参勤交代や兵農分離を批判し、岡山藩の批判などを送り続けました。

1687年に蕃山は、国政に関する意見書『大学或問(わくもん)』を執筆して、幕府を批判したところ、下総国古河藩に禁固を命じられ、その地で生涯を閉じたのでした。蕃山は、学者でありながら実際に藩政にたずさわった数少ない人物であるとともに、当時の幕政や社会や関する優れた考察を残した人物として、荻生徂徠とともに高く評価されています。


「8月17日にあった主なできごと」

1807年 蒸気船の試運転…アメリカの技術者で発明家の フルトン が、ハドソン川で蒸気船の試運転に成功した日です。

1945年 インドネシア独立宣言…インドネシア独立運動の指導者 スカルノ は、オランダからの独立を宣言しました。オランダは独立を認めず、その後4年間の戦争に突入しました。

1949年 松川事件…東北本線の福島県松川市付近で、レールの釘がはずされていたため列車が転覆し、機関士ら3人が死亡する「松川事件」がおきました。この事件は、国鉄(JRの前身)の労働組合や共産党が仕組んだものとされ、労働組合員ら20人が逮捕されました。1963年に判決がおり、全員が無罪となりましたが、この事件をきっかけに政府の労働組合への取り締まりが強化され、日本の労働運動は急速に弱まっていきました。当時おきた下山事件、三鷹事件とともに「国鉄3大ミステリー」といわれています。

投稿日:2011年08月17日(水) 07:07

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)